文語日誌 |
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文語日誌 兒玉 稔 どらゑもん 過日の朝日新聞コラム傳へて曰く、ある幼兒雙子を見て「いづれが本物なりや」と尋ねたりと。子は無垢にして愉快なり。 我にも子あり。彼らが幼き頃の思ひ出あり。 雄介と名づくる子あり。日日戲れに「汝が名はどらゑもんなり」と言ひ聞かせしかば、つひにそを信ずることとなりぬ。一夕、我が叔母宅を訪問の折、この子を伴ひたり。叔母、雄介に「お名前は?」と聞けば、彼「どらゑもん」と應へて恥づることなし。思はざる返事に叔母驚き呆れ、眞顏にて我を叱責す。長く教職にありし叔母、親の責任を諄々と説きたり。 娘順子にも思ひ出あり。動物多く載る繪本を好み、ラッコなるリスの如き動物彼女がお氣に入りなり。我「この動物はラッキョウといふ」と教へたり。隣家の同い年なる女兒我家にしばしば來たり。件の繪本にてあれこれ動物の名を言ひ當て遊びするうち、かのラッコのページに至れば隣家の子、既にこの動物の名を知り得意の調子にて「ラッコなり」と。我が娘「さにあらず。こはラッキョウなり」と。お互ひ信ずるところを言ひ合ひて止まるところなかりき。 娘その後も父の言を疑はず。その母と共に電車に乘りし時、車内にラッコの繪架かりたり。目ざとくこれを見つけ大聲にて「お母さん。ほれあそこにラッキョウ」と叫びしとぞ。妻、他の乘客の視線に耐へざりきと言ふ。 別の時、父を母と覺えさせ母を父と覺えさするも一興と思ひたり。しかれども妻我が試みに同意せず。子、母と過ごす時間多ければ、妻の協力を缺きたるこの件さしたる成果なかりけり。今、子等みな成人し昔日の面影なし。妻とふたり、をりふし昔話していささか笑ふ。 |