文語日誌
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文語日誌
     
                  加藤繪里子

七月某日 「夢十夜」を讀む




 七月に入りていよいよ夜も蒸し始め、寢附き惡うなりぬ。いつまでも眠れぬくらゐならばとて讀書を思附き、牀より身を起して本棚に手を伸ばす。怪談ものは刺激強からむ、さりとてファンタジイを讀まば心躍りて落著く能はざらむ、如何にせむと思ふに、漱石の『夢十夜』ふと目にとまる。久しく讀まぬ幻想的なる短編小説にて、此ならば我を安眠へ導かむとて輕き氣持ちにて讀始む。
 第一夜・第二夜はまだ面白しと思へども、第三夜よりいよいよ恐しくなりゆきて、神隱しにあひたるごとき言ひやうなき氣分のまま第十夜まで讀む。一息つきて後、「百年はもう來てゐたんだな」の言葉にて有名なる第一夜を再讀し、その言葉を味はひつつ本を閉づ。輪郭なきやうなる仄暗き不氣味さ、徐々に我に迫り來て、頭かへつて覺醒し、眠る能はざりき。遂には、雀のさへづり遙かに聞こゆ。


 新潮文庫の裏表紙には「意識の内部に深くわだかまる恐怖・不安・虚無などの感情を正面から凝視し、〈裏切られた期待〉〈人間的意志の無力感〉を無氣味な雰圍氣を漂わせつつ描き出した」との解説あれども、より深き印象あるべしと思へば、一讀を獎む。但し、牀に入る前に讀むことなかれ。


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