文語日誌 |
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文語日誌 谷田貝常夫 ドーバー・ソール 平成二十五年九月十六日 四十年ぶり倫敦の地に降立ち、齡八十を半ばにて折り返したる歳月を眺め渡して聊かの感慨なきにあらず。始めてこの地に宿りしは、マルチン・ルーテル子孫十七世と稱せる老人の經營せるペンションにて、いはゆるクレセント・三日月型集合住宅の一部なり。五階建て程の住居が弧をなして立ち竝び、弧の内側は住人たち共同の庭となりたり。福田恆存先生に紹介せられたる宿にして、九ケ國語を話すといふ、ルーテルが英語讀みされたるミスター・ルーサーは、當世を斜めに見ながら質素に暮しをりたり。英語を十分に解せざる身に、いかめしき顏の老人と向ひあひての話はこそばゆけれど、この存外に話好きの老人との夜の會話は樂しみとなりたり。今時の野菜は、人參など太く長くてステッキにもならん程のものにて、野菜の味なし。昔は小さく締りをりて、味はひ深きものなりしをと歎かる。朝は裏手に導かれたるが、いはゆるクレセントの圍める緑一色の芝生にて、住人等の花を植ゑたりして樂しむ英國の庭なり。ルーサー氏、トレリスを作りて豌豆の蔓を植ゑたるも、ほら又鳥に豆を食はれてしまひたりと、いまいましげに、しかし樂しげの樣子なりき。食事に誘はれて共に出かけたることあり。何ものをも棄てゝしまふ今の世、されど吾がコートを見よと言はれ氣付きしことあり。厚手のコートを裏返しにしたる代物なり。如何にしてかくのごときが可能なるかは思ひもつかねど、襟のフラワーホールの切り口、釦の穴など縫ひつぶされてあり。かくすれば一つのコートも、倍は保つものをと氏の一言。 大衆的なる食堂にて奢られしはドーバー・ソールなり。白堊の斷崖にて名の通りたるドーバー海峽にて獲りたる鰈のムニエルにて、魚好きの日本人向きにと選ばれしものならむ。西洋の料理にしては淡泊なる味を嗜めり。かかる倫敦にてのミスター・ルーサーとの出會ひは、今に至るまで忘れ得ぬ思ひ出として殘れり。その後數年經ちて姪御より亡くなられたる案内屆きしが、遂にまともなるお悔みもせずに過ぎたり。今囘、改めて倫敦にてドーバー・ソールを食するに、大衆的ならざるレストランの、高級さうにバターその他の油、香料にていためたる手の込みし料理として出されたれば、厚化粧の鰈には、いつかなフォーク、ナイフの動き進まざりき。人參は彼の地にてもオーガニック野菜が流行りとなりたれば、ルーサー老人の言ひたるごとく、小さく美味なれど、その海峽の下にユーロスターの隧道走り、自動車に乘りたるままに佛蘭西へ屆きうる昨今のことなればなるか、ドーバー・ソール料理も高級なるものに變身したるものならむか。今年の夏の倫敦にて、裏返しにしたるコート羽織りしルーサーさんとの食事を懷かしむることによりて積年かなはざりし供養となせり。 ルーテルの十七世の老人と爐端で評す時の世の中 ▼「日々廊」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |