文語日誌 |
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文語日誌(平成二十五年八月三日) 土屋 博 巴里のオペラ事情(七) SALLE PLEYEL(サル・プレイエル) プレイエル(一七五七―一八三一)はハイドンの弟子の名前なり。其のホール、約二千人收容可能なれども近年老朽化目立つ。巴里管絃樂團の本據地として有名なり。ピアニストの演奏會なども數多開催せらる。 シーズン九〇・九一年 DAMNATION DE FAUST(ファウストの劫罰)(九一年二月) ベルリオーズ作曲。ベルギー出身の大歌手ホセ・ファン・ダム、やや眞面目に過ぐる印象。獨逸出身のワルトラウテ・マイヤーもシャトレ座の時の同曲演奏の域には達せず。指揮はビシュコフの代役てふグルジア人にて可もなく不可もなし。 RECITAL NORMAN(ノーマン)(九一年六月) 米國の黒人ソプラノ、ジェシー・ノーマンのリサイタル。佛蘭西にては最も有名なる歌手の一人と目せられ、格別に其の人氣高く、會場も滿員なり。リヒアルト・シュトラウスの歌曲、有名なるものばかりを選みて歌ふ。ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集は凄味あり。アンコールに用意したるは、ブラームス、黒人靈歌、ドビュッシー「マンドリン」、そしてサティ。期待通りの忘れ難き演奏會とはなれり。 シーズン九一・九二年 DIE WALKURE(ワルキューレ)(九二年三月) ワーグナー作曲。演奏會形式の「指環」上演の一環にて指揮はマレク・ヤノフスキー。十八時に開演す。第一幕、ジークムントのシェンク、フンディングのヘレ、ともに揃つて良し。ジークリンデのフランソワーズ・ポレのみ豫想通りに水準低く聲量なし。休憩一時間あり。第二幕は一段と素晴しく、ブリュンヒルデのエヴァ・マルトン、ヴォータンのジェームズ・モリスは正に現代を代表する大歌手同士にて、千兩役者とこそ言ふべけれ。三幕にてはワルキューレ達も高水準にて、終曲に向けての盛り上がり、この上なし。 SIEGFRIED(ジークフリート)(九二年三月) ワーグナー作曲。オーケストラのかくも素晴らしき響き、滅多に聽くことなし。第二幕の終はり以降は音樂評論家の草分け大田黒元雄氏もかつて指摘したる如く、ワーグナーの作曲技法の格段の進化、大いに目立つ。重厚なる音量、聲を覆ひ盡す如し。ミーメ役のグラハム・クラーク好演す。三幕後半は、緑の服のエヴァ・マルトン登場し迫力滿點の歌唱にて聽衆を壓倒し去る。 (注)「ジークフリート」の演奏としては、九三年三月、雪のウィーンにてジークフリート・イェルサレムとヒルデガルト・ベーレンスの組合せによるものに接したり。特に終幕の二重唱、記憶に殘れり。 CREPUSCULE DES DIEUX(神々の黄昏)(九二年三月) ワーグナー作曲。直前に仕事ありし爲、遲れて午後十時前會場に到著す。切符を入手すること能はざる人々、會場より生放送せらるるテレビ映像をば食ひ入る如くに見入りたり。 ▼「日々廊」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |