『紅樓夢』記・八(詞藻樓・中國文學雜記)
                 

 『紅樓夢』の魅力の一は、全體の物語を構成する小さき插話の精彩に富むことなり。以下に香菱なる一女性の、詩の魅力に取憑るる插話を掲げむ。
 香菱はもと良家の讀書人の子女なるも、幼時に人に誘拐せられ、寳玉の從兄の側室として賣られたり。香菱の如何なる家に、如何なる兩親の下に生れたるやは、『紅樓夢』の物語の冒頭近く語られたるにより、讀者は知るも、香菱本人は何も知らず。生家、兩親につき問はるるも、悲しげに、「我何も知らず」と應ふるこそ哀れなれ。
 主人の長途の旅行に出立せるにより、寳玉が姉妹、從姉妹らと、賈家大觀苑に移り住む。大觀苑に住む賈家の若き姉妹に、寳玉が相思の人林黛玉ら、試作に巧みなる才媛多し。香菱渠等才媛と交りを結ぶに及び、讀書人の家の生れなるを仄かに憶ひ出したるにや、詩を讀むに熱中し、自らも詩作せむことを希ひて、林黛玉を詩作の師と思ひ定めたり。
 一日香菱、林黛玉を訪ひ、詩作の指導を求め、宋の陸游が詩を引き、稱贊するに、林黛玉の曰く、「かかる詩よりは斷じて學ぶべからず。そなた詩を知らざるに因りて、かかる淺く容易なる詩を見て、これを愛唱するのみ(斷不可學這樣詩、機們因不知詩、所以見了這淺近的就愛)」と。斯くて林黛玉の課したる詩作の修行、以下の如し。最初は王維の五言律詩百首、次いで杜甫の七言律詩百乃至二百首と李白の七言絶句百乃至二百首を熟讀し、腹中に收むべし。これら三詩人が詩を記憶せば、詩作の基礎固まるべく、然る後に陶淵明等の、魏晉南北朝の詩に進むを宜しとするなり。
 香菱は元來生眞面目なる性にして、試作の情熱鬱勃たれば、林黛玉の教へを日々拳拳服膺し、寢る間も惜しみて勉學に勵みたり。そを見たる林黛玉、一日、題を月、韻を寒とて、一首作詩せんことを求むるに、香菱の持ち來れる第一作、次の如し。


月桂中天夜色寒 月桂は中天にありて夜色寒し
清光皎皎影團團 清光は皎皎影は團團
詩人助興常思玩 詩人は興を助けて常に玩を思ひ
旅客添愁不忍觀 旅客は愁ひを添へて觀るに忍びず
翡翠樓邊懸玉鏡 翡翠樓邊玉鏡懸かり
珍珠簾外掛冰盤 珍珠簾外冰盤を掛く
良宵何用燒銀燭 良宵何ぞ用ゐん銀燭を燒くを
晴彩輝煌映畫欄 晴彩輝煌畫欄に映ず


 此を林黛玉より、「措辭雅ならず(措詞不雅)」と酷評せらるるも倦まず、研鑽を重ね、次の詩を持參せり。


非銀非水映窓寒 銀に非ず水に非ず窓の寒きに映ず
拭看晴空護玉盤 拭ひて看れば晴空玉盤を護る
淡淡梅花香欲染 淡淡たる梅花香染めんと欲し
絲絲柳帶露初乾 絲絲たる柳帶露初めて乾く
只疑殘粉塗金砌 只疑ふ殘粉金砌を塗ぬるやと
恍若輕霜抹玉欄 恍として輕霜の玉欄を抹する若し
夢醒西樓人跡絶 夢醒めて西樓に人跡絶え
餘容猶可隔簾看 餘容猶簾を隔てて看る可きがごとし


  林黛玉、「苦心の作なれども些か穿鑿し過ぎなり」とて、一層の努力を求めたり。「此の詩は月を詠みたる詩なりや」と揶揄するあれども、香菱はめげず、夢中にも詩作に勵み、終に皆より稱贊せられたる次の佳作を得。


精華欲掩料應難 精華掩はんと欲すれど料るに應に難かるべし
影自娟娟魄自寒 影は自ら娟娟魄は自ら寒し
一片砧敲千里白 一片の砧敲いて千里白く
半輪鷄唱五更殘 半輪鷄唱ひて五更殘つく
緑蓑江上秋聞笛 緑蓑江上に秋笛を聞き
紅袖樓頭夜倚欄 紅袖樓頭に夜欄に倚る
博得嫦娥應借問 嫦娥を博しり得ば應に借問すべし
縁何不使永團圓 何に縁りてか永へに團圓せしめざる


 後に主人の娶りし本妻よりいびり殺さるる薄幸の人の、一時の心彈む日々なりしか。


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