臨時出仕の記 小掘 桂一郎 第六十一回式年遷宮臨時出仕の記 (奉詠二十二首) 十月一日朝、京都を發し伊勢に向ふ。これより 稻の稔り乏しといふも伊勢路來て田の 宮遷りの祭迎へしこの朝け伊勢の空には雲なかりけり 正午、宇治橋の畔に至る。秋光麗かにして老若の參拜者堵をなして 宮遷りの祭を近み伊勢路吹く風は桂の 木犀の 奉仕は一日午後四時の川原大祓に列して御神寶と共に清祓を受くるより始まる。川原といふも五十鈴川の水邊にはあらずして、瀧祭神に近き林中の空地に一場の礫原を卜して之を行ふ。式典は終始無言にして、後列に立ちたる吾はただ神官のふるふ幣のそよぎに耳すませ、以て式の進行を推知するを得しのみ。 森深き 幣 弓も太刀も神執らしますものゆゑにいしき 十月二日午後六時、臨時出仕の同役三人と共に 新宮に神遷ります夜ぐたちのしじまをひたに鳴けるこほろぎ こほろぎはゐやなき蟲かみあらかのきざはし近き石の間に鳴く 吾は内院の西隅にて庭燎を守り居るなれば、神殿を越えて東の森を望む良き位置なるに、舊暦八月十七日の月はなかなか上り來ず、月の出は午後八時を五分時も過ぎたる頃なりしならむ。剩へ漸くさし出でし最初の一閃より、差し交したる杉の一枝一枝を數ふる樣に上りゆきて、月の全く梢を離るるに至るまで四半時もかかりしかと覺ゆ。 月の出は近くあるらしみあらかの 大杉の 月輪空に浮かぶ。内院に並み立ちたる衣冠の神官の一人、我が傍に立ちて「今宵は十六夜なりや」と問ふあり。月の逆光にて面輪は見分かねども爽やかなる音聲なり。庭燎番なる吾は蹲りしまま低聲にて「暦にては立待なり、されど月齡はげに十六夜ならむ」と答ふ。こは滿月點の一日午前四時なりしを偶々調べおきし故に斬く答へつるなり。 新しき神の宮居の棟越えて圓かなる月にかげなかりけり うつります神近づきぬその折しも月は梢を離れて光りき 大神の籠らせたまふ絹垣の南御門に達したまへる頃、奏樂の調べにてその位置を推知し、庭燎に濡莚を覆ひかけて炎を押ふるが庭燎番の務めなれば、 新宮に入ります神を畏みとしばしかがりを燃えがてにする 荒むしろ水打ちて重ししまらくをかがりに伏せて神をかしこむ 午後八時半頃、大神の入御成りて、茲に内宮遷御の重儀は滯りなく果つるなり。この始終、月の光はありといふも、總て何事のおはしますをも知らぬ夢幻のうちに過ぎゆきしが如く、火焚きの翁務めし吾なれども拜觀せしと言はんよりはむしろ、神の御幸の歩みの今しかくやあるらむと推しはかるのみなり。 まさやかに神はいましてうつし世の我が 月しろの光さやけき小夜ふけを神にひみやに入りたまひける 新宮に今しも神は入りましぬ閉ざす扉の軋みのみして 重儀果てて、内院を埋めて立ちつくしたる衣冠束帶も白雜色も肅々としてやがて 神遷りの祭は果てぬかがり火を落せばいよよ冴ゆる月かげ むささびも神ことほぐと杜の夜の月の 十月三日午前、奉幣の儀に參列す。快晴の二日間は過ぎ去り、この日は朝より再び雨なり。されど儀式をいたく妨ぐるほどにはあらず。かへりて玉砂利のほどよく洗はるる如き心地す。 すめろぎの使あらせて幣まつる伊勢の宮居に秋雨ぞ降る 新宮にうつりましたる神のみあとしめやかなれと時雨降るなり 神宮廳發行「瑞垣」第一六六號(平成六年一月二十日刊)新春遷宮特集號所載 (こぼりけいいちらう・東京大學名譽教授) ▼「逍遥亭」目次へ戻る |