沈壽官氏を訪ねて
                林 暢

  朝鮮古陶の壺を抱へ、薩摩燒十四代沈壽官氏の許へ赴きしより早や十年を經たり。其年平成十年は、氏の島津義弘に捕へられ串木野濱に上りしより四百年目に當れり。鹿兒島縣擧げて是を記念し、樣々なる行事企てらる。沈家故郷、南原ナモンにて採火せられたる火種、海を渡りて沈家窯に移され、登窯に着火せられて十一月一日、窯出しとなる。地元テレビ局の紹介有りたれば見し人も多からむ。
  吾、壽官大人と面識有りしに非ず。窯出しを見に行かむかと知友の誘ひあれば、欣喜して諾す。さらばと知友に問ふ、我に滿洲引揚時持歸りたる古陶有り、大人に見せばやと思ふが如何と。友の答へて曰く、嘗て歐州にて購ひたる江戸期薩摩燒の箱書を願ひたること有り、問題無からむと。勇を得、古陶抱きての薩摩行とはなれり。
  壽官窯は東市來町美山に在り、大路に面し屋根付き大門には、壽官陶苑の扁額に竝びて大韓民國名譽總領事なる木札を掲ぐ。
  大人、窯出しに備へ多忙なれば、令室のみに挨拶し窯出し直前の樣を見守る。テレビ局、新聞社カメラマン、見物客、數多蝟集せり。紺の作務衣着したる大人、鋭き眼付もて窯を凝視す。間有らずして第一室火口の煉瓦除かれ、作品の搬出始まる。
  窯出終りて大人ロビーに戻るを見て吾等も近づかんとすれど、客人多くして暫く間を措くこととし、近邊の竹林、茶畑を逍遙す。後、展示館に至りて初代以降の作品を鑑賞し、賣店にて黒簾れ文樣自地鉢を購ひぬ。
  薩摩燒には白黒の二分有り。白薩摩は藩專用にして庶民使ふこと能はず。此の日燒成せし作中、茶褐色を呈するもの多し。白地ならざるもの總稱して黒薩摩と云ふ由。
  漸やく人垣途絶えければ 吾、大人の許に參じ、知友の口添へありて挨拶を爲し、携えたる壺を差出しぬ。高さ七寸許りなるこの壺に聊かなる經緯有り。父母妹と四名、安東(現丹東)に住ひ居りしが、敗戰を迎へたる直後、ソ聯軍入市す。程經ずして共産八路軍と交替す。軍は市政を掌握し治安は概して良好なれども、吾が父、紡績技術者として軍政府に徴用されたるは大きなる衝撃なり。
 滿洲各地において、共産黨、國民黨間に主導權を爭ひての内戰始まる。抗爭の合間を縫ひて北廻り瀋陽經由にて引揚徐々に始まりたるも、内戰激化に伴ひ、そも途絶えがちとなる。昭和二十一年秋、鴨緑江を下り朝鮮を經由の引揚計畫されたるも、時恰も國府軍の侵攻に逢着したり。劣勢なりし八路軍、安東放棄を決し、鴨緑江上流方面へ退避を始む。工場機械設備も馬車に積み搬出さる。父、同行を求められ、諾さざるを得ざりき。其れと引換に家族の引揚承認されたり。
  別離に際し、父、吾に古陶の壺を手渡し、生きて戻りうるか否か定かならねども、此を我が形身と思ひて持歸れと。斯くして母妹と引揚團に加はることを得て五十日後、漸くにして故國の土を踏むことを得たり。爾來形身の壺は片時たりと雖も肌身より離すこと無かりき。幸ひなることに四年の後、父も無事歸國す。
 壺を手に取りたる壽官大人、壺を撫でつつ、温き地肌、良き姿、なかなかに得難き品なり、良きものを持歸られしものかなと申さるるに、やおら筆を把りて箱書さる。
  本瓶ハ高麗時代後期ニ高麗國ニテ製サレ
   シモノデ、中心ニ辰砂釉ノ施シタル堆花
   文技法ニヨルモノデ蓋シ逸品ト認ム
     平成十年十一月一日
       十四代 沈 壽官 識 印
  我問ふ、年來李朝初期の作と思ひきたれりと。壽官大人此に答へて云ふ。『王朝交替せば作陶樣式も一變す。斯くの如き例は朝鮮の他には無し。見給へ、五辨花の白土文樣あり。高麗盛期にありては地肌表面に溝を彫りて白土を埋む、所謂象嵌技法使はれしが、末期に至り象嵌技法緩みて白土をる技法に變りたり。然し乍ら、李朝に入るや、青磁は捨てられ、白磁・染付・青磁技法に依る三島手へ變り行きぬ。然は申せ、この壺、良き品なりと。
  過襃の言に面目を施して深謝したり。歸途に當り茶室にて令室より一碗の抹茶をふるまはれて沈家を辭せり。

  千三百九十二年、李成桂建國せし李氏朝鮮は永き命を保ち、明治期に至りて日本に併合せらるる迄、五百年に亙りて存續す。高麗末期は今と距ること六百年なり。壽官大人の祖、南原にて捕へれし時、この壺燒成されて既に二百年の歳月を經たり。如何なる道程を辿りて吾が父の所有せるところとなれるかは壺のみぞ知る。父 若年より、金魚、金技雀カナリア、シヤボテン、春蘭、萬年青おもと杯、十指に餘りたる趣味を持つ好事家なれど、最後に達せしは燒物なりき、其の導火線となりたるがこの壺なりとは、兼々父の言ふところなり。別離の砌り我が形身と選びしも首肯さるる所なり。
  朝鮮の火點じられたる窯出しの日に、沈壽官氏の掌中にて愛撫せられ、剩へ箱書まで賜はりたる壺、かくて泉下の父に幾許の孝養を盡すことを得たらむ。此夕、酌交はしたる薩摩燒酎の滋味、終生忘れること無からむ。
  壽官大人、既にして著名の人たり。司馬氏の「故郷忘じがたく候」の主人公たり、平成九年韓國大統領訪日に際しては宮中晩餐會に招じられ、大相撲九州場所の賓客としてテレビ畫面に映じられ、はたまた四百年祭の主役たり、此年十一月末、日韓兩首相の鹿兒島會談後、兩者相携へて壽官陶苑を訪れたり。斯くの如き高名の人なるも、常に温顏にて村夫子然の好好爺なり、言辭、動作謙虚にして偉ぶりたるところ無し。
  我にとり平成十年は、良き人に巡り合ふを得たる良き年なりき。
           

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