逍遥亭>和田裕:『グレの歌』(シェーンベルク)を聽く |
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『グレの歌』(シェーンベルク)を聽く 和田 裕 九月八日(木)長野縣〈まつもと市民藝術館〉に近代十二音階音樂の開祖なる澳太利亜音樂家アーノルト・シェーンベルク 作曲に掛る『グレの歌』を聽く。 この曲は二十世紀初頭若きシェーンベルク、丁抹克傳説による敍事詩獨語譯に興味を唆られ曲を譜したるものなり。 當時音樂の都維納は指揮者にして大作曲家たりしグスタフ・マーラーの全盛時代にして正に浪漫主義音樂の爛熟期にあり、 彼シェーンベルクも亦その影響下にありたり。 されば『グレの歌』は同時期に作曲せられし室内樂曲『淨められたる夜』共々旋律に富み、 後期の如き難解苦澁なる作品には非ざれども、演奏に當りては大編成のオーケストラ、六人の獨唱者と大合唱團を要し、 且つ高度の演奏技術を要求せらるるが故に上演囘數極めて稀なる曲目なり。 今囘小澤征爾指揮による〈〇五年サイトウキネン・フェスティヴァル松本〉に於けるオーケストラコンサートの曲目として 上演せらるるも、世界的指揮者小澤にしてこの曲の日本國内に於ける演奏は最初なりと云ふ。 我この曲を初めて耳にせしは今を去る三十數年前、昭和四十三年の頃若杉弘指揮による讀賣日本交響樂團演奏會に於いてなり。 我一聽して忽ちその浪漫的曲調に魅了せられたり。 特に終曲近く合唱を背に展開されたるバリトン歌手中山悌一によるシュプリッヒ・シュティンメと稱せらるる殆ど旋律なく 朗讀するが如き詠法は強く印象に刻れたり。 その後兩三度この曲の演奏會に接したるもこの十年程はその機會に惠まれず今囘久しぶりにして大いなる期待に胸躍らせし次第なり。 本來『グレの歌』はオペラには非ざるも、丁抹克國王ワルデマールとグレ城に住む美しき乙女トーヴェとの純愛物語傳説に基く、 獨語譯による一連の歌曲を伴ふ交響詩にして、此の度は〈セミ・ステージ形式〉と稱して獨唱者は役柄に相應しき衣裳を身に着け、 簡單なる舞臺裝置を施せるステージにて上演せり。 ワルデマール王を歌ふはテノール歌手トーマス・モーザーにして、又乙女トーヴェ役はソプラノ歌手クリスティン・ ブリュワーこれに當れり。 兩歌手とも現在歐米樂界にて活躍中の一流歌ひ手なり。 曲の第一部にてワルデマールとトーヴェは 交互に四囘に亙り互の愛を歌ひしが、次第に昂揚して遂にトーヴェの、愛の間に死する歡びを歌ふに至るは、ワグナー作樂劇 『トリスタンとイゾルデ』を想起せさするものなり。之に續き〈山鳩の歌〉、新進メゾ・ソプラノ歌手のミシェル・デ・ヤング により歌はれトーヴェの死を告げて第一部を終りたり。 第二部は極めて短くワルデマール王トーヴェの死を哀しみ神を怨み罵る 歌一曲のみにて〈荒々しき狩〉なる標題を附せられたる第三部に移行す。 第三部に至りては死して亡靈と變りしワルデマールは墓に眠る部下を呼び起し、彼等を引き連れトーヴェを索めて彷徨ふ。 この樣を偶然見掛けたる農民(バリトン フランツ・グルントヘーバー)は驚き怖れて家に逃込みたれど、 同じく王と兵士たちの騷ぎを目にせる道化師クラウス(テノール ジョン・マーク・エインズリー)は王亡靈となりても 尚トーヴェを探し求むるは神に操られし道化なり、憐れ王の地獄落ちは避くること叶ふまじ、 我は道化なるも死後は天國へ迎へられんと嘲笑ふ。 王と部下の荒々しき狩始れども軈て朝明け近く部下の亡靈は墓に戻りて眠に就けり。 次に語り手(グルントヘーパー)登場、〈藜(あかざ)氏もアマラント夫人も身を隠せ〉に始る一連の語りを開始す。 軈て〈生命と日光を願へ!目覺めよ、花たち、歡喜に目覺めよ!〉と結び壯大なる合唱〈太陽を見よ!〉 を以て全曲は劇的に演奏を息めぬ。 グルントヘーパーは我が國にも馴染深き老練の歌手なれば、シュプリッヒシュティンメの效果を十二分に發揮せる話法を披露せり。 指揮者小澤のタクトに連れてフルオーケストラ・フォルティッシモによる壯大なる終結句劇的に奏せられ、 一瞬の靜寂! 堰を切りたる如き萬雷の拍手聽衆席より湧き出で『ブラボー』の歡聲飛び交へり。 蓋し獨唱者、合唱團、オーケストラ夫々十分に實力を發揮せる申し分なき演奏なり。 之も偏に指揮者小澤の卓越せる指揮に負ふこと大なるべし。 指揮者、獨唱者ステージに登場し、且つオーケストラ團員起立して聽衆の拍手に答禮すること三、四囘に及び、 軈て銘々配られし花束を手にステージを去り行きぬ。 久闊の『グレの歌』の生演奏に痺るる如き感動を受けたる我は、日頃老化の衰へを嘆き居たりし聽覺の惱みも吹き飛び、 『素晴しき哉』と家人と共に語りつつ出口にて龍膽の花束を受取り醉へるが如き心地にて宿舍へと戻りたりき。 ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |