逍遥亭>和田裕:カラス(歌喇子)よ・永遠なれ カラス・フオアエヴァー
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[カラス(歌喇子)よ・永遠なれ カラス・フオアエヴァー]
                 和田 裕



 先頃来『永遠のマリア・カラス』なる映画東京に於て上映を開始せるは、余の如き カラス(歌喇子)贔屓の者に取りては甚だ喜ばしきことなり。


 マリア・カラス(鞠亜・歌喇子)は一九五〇年代より六〇年代半ば迄レナータ・テ バルディと共に歌劇の殿堂ミラノ・スカラ座に二十世紀最高のソプラノ歌手として君 臨せしが彼女は天賦の美声と圧倒的なる演技力によりて世紀の歌劇女優としての地位 を確保せり。


 カラスは努力の人なりき。彼女はその目的を達する為には如何なる犠牲をも辞せざ る強き精神力を保持せり。


 若き頃のカラスは声量に恵まれたれど、体躯は肥満して容姿は女優として不適切な りしかば、減量の為敢へて寄生虫「真田虫」を腹中に飼ひ見事痩身の体型を整ふるに成 功せりと云ふ。


 この激しき性格は己が納得せざる事柄に対しては之を受け入るるを潔しとせず、そ の故に劇場当局或いは演出者との衝突も珍しからざりき。


 又私生活に於ては希臘の石油王オナシスとの恋愛沙汰等の話題にても巷間を賑はせ り。然れども全盛期に於ける彼女の歌唱力と演技は之等雑音を超越して、唯聴衆を圧 倒感動せしめたり。


 されど喉を酷使する劇的なる唱法は歌劇歌手としての寿命を縮むる結果を齎し、六 五年倫敦に於ける『トスカ』の舞台を最後として爾後は声帯に負担少なき独唱会を専 らとせり。されども声の衰へは進み、一九七四年秋、永年の共演者たるテノール歌手 ジュセッぺ・ステファノを帯同来日せる際は、ステファノが尚往年の美声を偲ばせた るに反し、カラスは容貌こそ名残を留むれども、声を失ひ歌は聴くも哀れにして幻滅 を感ぜざるを得ざりき。落胆せる余は日頃愛聴する『トスカ』の録音盤を取出して暫 しの慰めとせり。


 カラスは其の後数年を出でずして一九七七年、巴里に五十三歳の生涯を閉ぢたり。


余は彼女と並び称せられるるテバルディをその全盛時来日の折に堪能せるも、カラス の魅力は録音に拠る以外手段なきことを悟りたり。


 今回の映画は正にその渇望を癒すに足る作品と云ふ可し。即ちカラス最盛期以来の友 人にして演出家たりしフランコ・ゼッフレリ監督、カラス晩年の容姿に相應しき女優 ファニー・アルダンを起用し、吹き替ふるに嘗て録音せるカラス全盛期の輝かしき歌 声を以て、カラスを現世に復活せしめたる一巻なり。


 余はこの映画を鑑賞しつつ、物語の展開もさること乍ら劇中歌はるる或は『トス カ』、或は『ミミ』、或は『カルメン』の絶唱に名状し難き戦慄と感銘を覚えぬ。何 れも日頃我が家の音響機器を通じ聴き慣れしものなるに、映画館の秀れたる音響施設 と十分なる音量によりて初めてその真価を認識し得たり。


 蓋し自宅の装置にて周囲への影響を配慮しつつ耳を傾くる等は音楽を鑑賞するに値 せざるべしと改めて思ひ知らされたり。


  嗚呼  カラス フォアエヴァー !
             (和田  裕)


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