逍遥亭>和田裕:マーラー『大地の歌』に寄せて
推奨環境:1024×768, IE5.5以上




[マーラー『大地の歌』に寄せて]
                 和田 裕



 十九世紀末より二十世紀初頭に活躍せるオーストリーの浪漫的作曲家グスタフ・ マーラーに『大地の歌』と題せる歌曲を伴ふ交響曲作品あり。この作品は六楽章より 成り、各楽章にはそれぞれ「大地の哀愁を詠ふ酒の歌」「秋に寂しきもの」「青春に ついて」「美について」「春に酔ヘるもの」「告別」の標題附せられ、奇数楽章は男 声テノール歌手、偶数楽章は女声メゾソプラノ歌手が歌唱するやう作譜せられたり。


 而してこの曲に用ゐられたる歌詞は、総べてハンス・ベトーゲなる独逸詩人の詩集 『支那の笛』より作曲者が適宜選択せる李太白、銭起、王維等の詩によるものとせら る。
 此の内余の好むは冒頭の「酒の歌」並びに最終楽章「告別」なり。


人生百年に足らず 今ぞ黄金の杯を挙げて 満たされたる酒を
酌みほすの時なり 生は暗黒にして 死も亦然り



と絶唱するは「大地の哀愁を詠ふ酒の歌」にして、原詩は李太白の「悲歌行」による とせらるるも、特に『生は暗黒にして 死も亦然り』の終結は聴く者の肺腑を抉るも のなり。


 「告別」の章は王維の詩「送別」と孟浩然の「宿業師云々」なる二つの詩を合した る故に長大にして、演奏に概ね三十分以上を要し、全曲の半ばを占む。詩の大意、前 半にては陽没し月の出の情景に自然の寂しさを詠ひ、夕暮れの美しさを称ヘて『美よ 永遠の愛よ』と一つの頂点を形成し、後半に入りて旅立つ友との永の別れを嘆く。
友曰く『我に何処へと問ふや』と。更に言葉を続け云ひけらく、


我山中に彷徨ひ 我が寂寥の心に憩を求めむ 我が彷徨ふ方は故郷なり
愛しき大地は春来りなば 到る処花咲き乱れ 緑萌え出で
到る処蒼き光の輝きは遥かに 永遠に 永遠に 永遠に



と『永遠に』なる句、実に七度繰り返され余韻嫋々として曲は閉ぢらる。
 この他銭起の詩による「秋に寂しきもの」、李太白による「青春について」同じく 「美について」並びに「春に酔へるもの」に、耳を傾くべき処多々あるもこの度は特 に触れじ。


 余が最初にこの曲を鑑賞せしは昭和十六年(一九四一年)一月、日比谷公会堂にお ける新交響楽団定期演奏会なり。当時余は齢十九、大学予科一年(旧制高校一年)に 在学せり。その頃わが国と米英両国とは未だ戦争には至らざるも、日支間の紛争は 愈々深刻にして解決の目途なく、戦雲いよよ暗澹たるものあり。前年は紀元二千六百 年の祝賀行事行はるるも、物資は軍需優先せられ国民生活は日を追ひて窮屈ならざる を得ず。


 学生生活も亦軍事教練強化され、徴兵猶予の特権も短縮を免れざる状況なり。斯か る時世なれば一部に厭世的人生観の語らるるもまた当然の風潮なりき。


 当時の西洋古典音楽演奏曲目は、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト或は チャイコフスキー、ショパンが主流にて、ブルックナー、マーラーの名のプログラム に載るは珍しかりき。市販せらるるレコードにおいても同様の傾向を示せり。


 なれば新響定期一月公演の曲目に本邦初演として『大地の歌』が取り上げらるるを 見て、珍しきものをとの思ひは在れど、それ程の興味は湧かず、関心はむしろ同時に 演奏せらるるシューベルトの『未完成交響曲』に向ひゐたり。


 この日の演奏は歌手としてテノール木下保、メゾソプラノ四谷文子の両名登場し、 指揮は常任のヨゼフ・ローゼンシュトックなり。


 金管の荒々しき咆哮に始まる第一曲の旋律は初聴者には理解し易すからず、しかも 木下氏は「金魚の嗽ひ」と揶揄せらるる如く口を開く割に声の響かざるため、やや戸 惑ひのうちに曲進みしが、例の『生は暗黒にして』の一節に至りて衝撃的感動を受け たり。かくて我が耳新たに開かれ、次の四谷女史の歌ふ「秋に寂しきもの」にも纏綿 たる叙情を感じ、只管解説の歌詞を追ふ間に、曲は遂に「告別」の章に至り、『愛し き大地は・・』に始まる最終節が奏せられ行き、『・・蒼き光の輝きは遥かに』が歌 はれ、やがて音程を下げて静かに『エーヴィッヒ(永遠に)』が断続的に繰り返へさ れて消え入る如く終結を迎へたり。


 余は感動の為拍手を忘れ唯呆然たるのみ。我が席の後方にて頻りに嗚咽の声を聞 く。不審に思ひ振り返り見れば、余と同年配の受験生らしき学生服の男顔を覆ひて泣 きに泣く。蓋し多感なる彼は重苦しき世相に己が身を憂ひ、世の行く末を思ひ煩ひて 無情を感ずる余り慟哭すならむと身に詰まされし次第なり。


 かくて余は一夜にしてマーラーの魅力の虜となり、半年程以前に発売せられたるワ ルターの指揮、男声はクルマン、女声はトルボルクを用ゐたるウイーンフイルハーモ ニー演奏による実況録音盤をレコード店に求めむとするも既に手遅、漸くにして中古 なれども緑のアルバム一冊を手に入れし折は正に沙漠に水を得たる心地せり。針を降 してスウェーデンの女性歌手トルボルクの「告別」を聴き、感動幾度胸に迫りしか。


 当時マーラーを好むものは限られしが、『やがて我が時代来らむ』との作曲者の予 言通り、二十世紀後半に至りてマーラー・ブーム現出し、「大地の歌」を始め彼の交 響曲若しくは歌曲は世界各国の交響楽団の主要演奏曲目となりたり。


 又レコード業界にありても、各社夫々有名指揮者、歌手、楽団を用ゐての録音を競 ひ、特に「大地の歌」は種類多きに過ぎて枚挙する能はざるなり。


 然れども余の最も愛好する盤は、マーラーの弟子にして、且つこの曲の初演を担当 せるブルーノ・ワルターが一九五二年維納フイルを指揮し、男声パツアーク、女声フ エリアーを用ゐて録音せるモノラル盤にして、録音年次は古けれど其の後これを凌ぐ 感動を与ふる盤を知らず、現在余の身辺には一九三〇年代に録音せるワルターの復刻 盤を始め,クレンペラー、ブーレーズより朝比奈、若杉の邦人指揮者に至る十数種類 の「大地の歌」存在すれど、仮に最後の一枚を残すとせばワルター一九五二年盤以外 は考へられざるなり。


 「大地の歌」はこの盤と共に、余の最愛の曲の一つとしてあり続くべし。


 『永遠に 永遠に』     和田 裕


▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る