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[グレートマスターズ演奏会を聴く]
                 和田 裕



 平成十五年十一月二十四日麹町紀尾井ホールに於て第二回グレートマスターズ演奏会を聴く。


 本来グレートマスターズとは技倆名声共に他に卓越せる巨匠に対する称号ならむも、 本演奏会に出演する面々は何れも七十歳以上の高齢者にして戦中戦後より活躍せる芸 術家なれば彼等に対する敬愛の称号とするが相応しからむ。当時の荒める風潮の中 に彼等の存在は貴重なるものなりき。而して彼等の多くは現在第一線を退きたる も、昔取りたる杵柄を用ゐてその矍鑠ぶりを誇示せむと相集ひ、併せて旧交を温めむとする趣旨の演奏会なり。


 之を聴かむが為に入場券を購むる聴衆の多くは、何れも往時のマスターズの活躍を懐かしむと共に、若かりし己が身を想ひ「昔を今に為すよしもがな」との感傷に浸らむとするものならむ。


 昨年の第一回演奏会(声楽、絃楽器部門)を聴き、味をしめたる余は今回も喜び勇て会場の一席を占めたり。


 この日の出演はピアノに横井和子、高良芳枝、井上二葉、田中園子の四人の女性に 加へて、林光、坪田昭三、青山三郎、田村宏の男性四氏なり。 横井、坪田の両氏に 関しては記憶に乏しきも、他の六氏は馴染みある名前にして、特に林氏は作曲家とし て現在も活躍しあり、最近も歌劇団『こんにゃく座』の総監督として全国的に精力的 活動を継続中なり。


 更に管楽器ではフルートの峰岸壮一、クラリネットに北爪利世、山本正治、そして ホルンの千葉馨と四氏の出演あり、之にヴィオラの三宅達也、兎束俊之の両氏が加は れり。


 この出演者の中にありては峰岸、千葉の両氏が馴染み深く、峰岸氏は余の大学の後 輩なりし誼からも永年に亘りフアンたり続け、千葉氏は昭和二十六七年頃未だNHK交響楽団金管部門の実力甚だ頼りなき時代唯一人安心して聴き得るホルン奏者なりき。


 さて当日の演奏に付き余の印象を偏見なるを承知にて敢ヘて記述せむ。


 この会は演奏の質を云々するよりは、その顔触れを懐かしむが主眼なれども中に二 三の音楽的にも賛嘆に値する演奏を聴き得たるは望外の幸と言ふべし。


 その筆頭は青山氏(七八歳)の弾じたる西班牙、アルベニスによるピアノ曲二曲に して、その濃厚なる郷土色は師ラ・ローチャを凌ぐものにして満場の喝采を博した り。


 又峰岸氏(七一歳)のフルート独奏はピアノ伴奏を担当せる林(七二歳)の作品を採 り上げたる選曲の妙もあり、現役に相応しき実力を披露せり。 更に田中女史(八四 歳)は猫背小柄の一見平凡なる老女なるも、演ずるショパンその他の数曲は音にも艶 を保ち、且旋律は十分歌はれて秀逸なる演奏に感ぜられたり。しかも口も達者にて司 会者の質問にも飄々たる答にて聴衆の笑を誘ひ、自分の性格に就いて『一寸空気が抜 けてるの』と言捨てて退場せるは女傑と称するに足る人物なり。


 之に反し気の毒なるはホルンの千葉氏(七五歳)にして、鬱の病に悩まされて演奏不 能の状態に陥りて、杖を頼りに登場し挨拶のみにて会場を去れり。


 演奏会冒頭の横井女史(八三歳)のピアノ独奏と高良(七八歳)、井上(七三歳) 両女史による二台のピアノ連弾は何か温習会の如きく長閑なる雰囲気漂ふ演奏なりき。  しかも高良井上の二人は顔立ちスタイル共姉妹と見紛ふばかりにして丁々発止と言ふよりは、喋喋喃々と演奏を展開せり。


 本演奏会ならでは鑑賞し得ざる迷演は、今回出演の最高齢者八七歳のクラリネット奏 者北爪氏を中心とせる室内楽シューマンの『おとぎ話』に止めを刺すものなりき。


 氏の難聴と老化の進みし為、共演者ヴィオラの三宅氏(七一歳)とピアノの坪田氏 (七四歳)の懸命のバックアップによりて、演奏は時に暫し三重奏らしき進行に聴か るる(これぞ正にモーメント・ミュージカルならむか)も、忽ち同氏のチンドン屋的 クラリネットの妙音により『謎』の題名相応しき室内楽に一変す。 漸くにして演 奏終了したれば、後の司会者との応答は殆ど独占して駄弁止まる処を知らず。 されど本 人の高揚せる心情を慮れば、之も一概に排すべきにあらず。 本演奏会の楽しき見せ 場の一つなり。


 最後のモーツアルト『ケーゲルシュタット・トリオ』は八十歳のピアノ田村氏、ゲ スト山本氏(五三歳)、ヴィオラ兎束氏(六四歳)の比較的若き三重奏のコンビにて 先づ無難に奏し終んぬ。 かくて第二回グレートマスターズ演奏会は一二の思ひ懸け ぬ事象ありたりとは云へ、さしたる滞りもなく午後六時過ぎその幕を閉ぢたり。


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