逍遥亭>『春四月、花の季節に思ふ』 加藤淳平
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『春四月、花の季節に思ふ』
          平成十五年四月  加藤淳平


 われら日本人にとり、四月は花の季節なり。歌人前田夕暮に、「木に花咲き君わが 妻とならん日の四月なかなか遠くもあるかな」の、人口に膾炙せし歌あり。われらが 想念のうちの四月は、かくのごとし。思ひ見るのみにして、胸わくわくと弾むなり。  四月、木に咲く花は、もとより桜なれど、桜のみにあらず。白もしくは紫の木蓮の 花あり。赤、白、淡紅色の椿の花、また四月に繚乱たり。黒き、堅き肌の木々より、 似ても似つかざる、優美にして、繊細なる花の一斉に咲き出づる不思議さよ。

 都心の住宅地に、数多からずと雖も、小さき庭のある日本式家屋残れり。かかる小 庭は、植木の手入れ行き届き、今この四月、花咲き乱れ、息呑むばかりの、華麗な る小宇宙を形成す。われ散策の途次、美しき小庭の前を通りかかり、しばし立ち尽く すこと多し。

 昔日よりの住民あまた住む、東京が下町の処々に、木造家屋、小さき祠の周囲に、花 木、鉢植えの潅木などしつらへし、日本的風情の一角あり。かかる一角も、今は花盛 り。花木育て、鉢植えの木の手入れするは、老人なり。老人の、古来の習慣により、 かくするは、無意識に伝承せる日本文化に、従ふなるべし。

 されど現代の都市、老人が生き方と調和せざるをいかんせん。東京にありても、日 本の他の大都市にありても、住民の自らが生活環境を、美的に飾らんとする努力の、 奨励され、評価さるること絶えてなし。小庭の花樹が背後に、漆喰にて造れる集合住 宅の、粗末なる壁立ち塞がり、隣地に巨大なる鉄筋建築の、小庭を見下ろし、建設工 事の進むを見ずや。

 下町に点在せる木造家屋、小さき祠は、今日、数を減じ行くのみ。わが住む街にて も、ここ五年がほどに、いくばくの小庭の消滅し、花樹の伐採せられしや、その数を 知らず。古来よりの習慣を身につけ、日本文化を受け継ぎし老人ら、肩をすぼめ、世 の行く末に違和感をいだきつつ、やがて死に絶えん。

 美しき小庭、木造家屋、小さき祠を押し潰し、鉄筋建築ジャングルの増殖するは、 無機質にして、醜怪なる、現在の東京なり。そは、現代日本人が心のあり方を示すも のならずや。

 欧米世界より、大量の雑然たる情報、引きも切らず、われらが意識に入り来たる。 かく寄せ来る情報は、われらが心の内なる、古へよりの思考方法、日本人が集合的無 意識と融合することなし。意識化さるるは、無意識をよぎる想念と相克し、前者は後 者を圧迫す。意識と無意識の矛盾し、交流せざる心の、豈安定するすべあらんや。

 東京の街の成り行く先を、予測し得ざるがごとく、日本人が心のあり方の、いかが なり行かんとするや、われ知らず。されど日本人が集合的無意識の、今一度活力を取 り戻し、意識と無意識の、溌剌たる交流の復活し、日本人が心ふたたび、豊かにし て、安定せるさまに蘇生するを、ああ哀しき哉、われ思ひ描くを得ず。



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