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『生死悟道』
                  原田 明


客夜 県人会において畏友A君と隣席す。

A君は五十年来の友人、性闊達、才能豊かに、行くとして可ならざるなき達人にして、小生の敬愛措く能はざる人物の一人なり。談高揚し、最近の心境につき、彼大いに語る。

曰く「我仏教に心惹かれ、研鑽すでに十年に垂んとす。毎朝坐して瞑想約一時間、のちに努めて読経す。正信偈、大無量寿経等を経て現在法華経に挑戦中なり。今日の次を明日、明日の次を明後日読み、斯くして大冊の経を読了せんと欲す。ただし法華経の如きは百回読了するに略八百日を要する見込みなり。

読経に当たりてはいたづらに字句解釈に拘泥することなく、文字とほりに読経するなり。長く深くこれを続くるにおいては、或日突如心開け、悟りを得たるがごとき心地すること、正に原子炉において臨界を越えたる時、突如核分裂が始まるに似て、不思議といふ外なし云々。」と。

小生深く感じ、彼に問ふ。「君若くしてかくのごとく仏教に傾きたるは如何」

彼曰く「わが身辺に、世に活躍せる名士にして、齢を重ぬるに従ひ、死を恐れ、兎角平然たる態度を失するごとき人を目のあたり見たることなどあり、おのづから斯く仏教に傾斜するに至れり。

むかし北京に天壇を見たるとき何ごとも感ぜざりしが、気功ををさめてより同じ天壇の前にて強き力を感ずるに至りしはこれまた一種修行の成果にあらずやと思考す。

人間にとり生死の悟りは仏教の如きによらずんば得難きにあらずやと愚考す」と述ぶ。

小生重ねて問ふ。「しからば、貴殿、仏教の説く前世の業により今生の宿命定まり、今生の業により来世定まるとの輪廻を信ずるや。人間死せる後、魂なるもの肉体を離れ、極楽または地獄に往生し、時に応じ、現世に回帰し、自在なる働きをなすとの説を信ずるや。」

彼答へて曰く「曰く言ひ難しといへども、今日まづ九十七、八パーセントその説を信ずと申して然るべし」と。

小生其の言の飾らざるを嘆賞し、みづからの心境を述ぶ。

「近時、科学、特に医学の発展により、人間の心は心臓の働きに非ず、脳の働きなること判明せり。心臓は血液の循環を司るポンプの如き機関にて、極めて重要なれども、思考を司るものにあらず、科学発展の将来に於いては完全なる人工心臓、体内に埋め込まれ、機能を遂行すること可能との説すら有力と伝へらる。昔いづこの国に於いても、知識思想は頭脳の働き、心情は心臓の働きとされしが、現今、知情意を含むすべての精神作用はこれ脳の働きなること疑ふべからざるに至れり。

然りとせば、ひとの死するや、祈り、悟り、その他の宗教的思索など精神作用もすべて消滅し、魂のみ生きて来世に向かふなどあるべからず。それにて一巻の終りとなるものとの考へこそ正しきにあらずや。

かかる考へ方のもとにおいては、世の生物なるものすべて、死後に生命を残す道は二途あるのみ。その一は子孫を残す。その二は名を残す。この二途あるのみなり。

名を残すとは故人の写真肖像、著作、芸術作品、生活、事業の業績、その他万般の記録、記憶等、またはそれらを媒体として残るものにて、すべてこれ故人の名との関連において残るものなれば、名を残すとの表現にて総括せらるべし。

老いて死の遠からざるを知る者、しばしば回顧録を著し、ときに銅像を残さんと欲するものあり。まさに名によりて後世に残らんとする衝動によるものなるべし」

小生さらに続けて言ふ。

「吾人思へらく、科学的合理的思考において死後に残るもの子孫と名との二のみなるべしとの説はなかなか否定し得ず。然らば然り、それにて致し方なし。この説、むしろ、スッキリいたし、却つて良きかなとも覚ゆ。

然れどもまた、吾人心底深く別の声あり、小生幼きときより父母に従ひ、寺に参り、説法を聴聞す。とくに母は深く浄土真宗を信じ、念仏により極楽浄土に往生することを信じ、九十九歳の長寿を得て安心立命せり。

さらに小生やや長じ、学生の頃、倉田百三に傾倒し、また親鸞の教への真髄、「歎異抄」に宗教と信仰の極致を見たる心地し、現在に至るまで毎朝晩、家内全員仏前に合掌読経し念仏称名し礼拝す。この教へ、「念仏さへ唱ふれば極楽往生間違ひなし」とのことなれば、もつとも易しく、確実なる安心立命の道、これにより浄土において、父母と会ひ、さらにまた妻に会ひ、子達に会ひ、贅沢を望まず、ただともに、普通平凡なる暮らしを過ごし得れば幸ひなりと信じ居るものなり。仏の救ひの力、さほどに大なることを信ず。安心立命とは安らかなる心にて死を迎へ得ることなりとせば、これ小生にとりては最も有り難き道なり」

と申しければ、傾聴せるA君曰く、

「仏教には悟道の佛教と救済の佛教あり、浄土真宗はその救済の仏教なり。しかしながら悟道の仏教もまた人間をして悟りの境地に達せしむべく、様々なる修行の方途を教へつつあり、其の修行の深く積み重ねらるるに従ひ、突如ある種悟りの境地に達することあるなり。歴史に残る高僧にその例多く、拙者のごときすら、最近瞑想の途、いささか爽やかにしてこれぞ悟りに近きにあらずやとおぼしき空とも虚とも申すべき境地に達することあり云々」と言ふ。

小生「もし小生のごとき、坐禅を組まんとせんか、まづ足の痛さに耐へられず、しかも起るは雑念ばかりなるべし。貴殿の場合、雑念起らざるや」と問ひければ、彼曰く、

「雑念もちろん起らざるなし。ただし瞑想の後、時として、雑念とは異なり、言ひ難き爽やかなる気分になることあり、なんとなく気分スッキリするなり云々」と言へる頃、県人会の宴も終りに近く、ともに笑ひて別れたり。

帰途、平素語りたることなき話題を交はしたるせゐにや、あたかも「賢人会」にて賢人の話を聞きたる心地し、畏友A君の人間としての成長に感嘆し、彼との年齢差を数へ見れば、その差、昔と変はらず十三歳なりき。

            二○○三年二月七日記



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