逍遥亭>『薦むる詞(今川乱魚著 句文集)』衞藤瀋吉 |
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薦むる詞(今川乱魚著 句文集) 東葛に珍魚あり。名を乱といふ。 乱魚、江戸の内に生を亨くるも、幼にして松戸に遷る。性洒脱、滑稽風流を好みしが、家貧なり。四方赤良の如き秩祿に恵まれず。大隈侯を慕ひて自由の杜に遊び、ひと度は尾崎士郎描く『人生劇場』の侠気に憬れ、あるいは白蓮の如き絶世の佳人を掻つ攫ひ、『浮雲』の如く宮ノ浦の山中に隠れ住まんか、と夢むるも、その甲斐なし。哀れ、衣食の道を得べく、月給鳥と化して浪華に飛ぶ。住むこと十年。晝は、勤めとてただよし無き調書をのみ書き列ぬ。辛苦の文書は忽ち上司の机上より、屑籠へ直通、稀に「保存」の範疇に入るを得たるものも、文書棚に高く高く積み上げられ、爾後人之れを顧ず。 乱魚、黙々として勤め、ひたすら啼かず蜚ばず、日没し鳥塒に帰る頃ともなれば、かえつて詩神頻りに動きて勃勃たるものあり。偶々人と相知り、俳句同人に列なるも、性、乙に澄まして「わび」とやら「さび」とやら、気取るを好まず。況や芭蕉翁の「無能無芸にしてただこの道一筋に繋る」如き、生命懸けは真平御免なり。斜に構へて、笑顔を絶やさず、人情の機微をサラリと五・七・五にまとめ挙ぐる軽妙、次第に句調に現る。つひに川柳投句を始む。廿八・九才の交なり。 やがて浪華の水にも飽きし頃、人その才を惜しみて、世界経済情報サービス(WEIS)なる調査機関に薦む。東都に在り。乱魚、三里に灸据うる間も無く、煎餅布団を質に流し、急ぎ故郷に飛び帰る。以後、柏の逆井に盤居す。川柳の才忽ち現れて人に知らるるも、温良恭謙譲、以て軽々しくは動かず。おのづから信望一身に湊ること、良賈は深く蔵して虚しきが若し。人、よくその才と徳とを知りて、乱魚の名斯界に雄たり。 余は中国の僻地に生れ育つ。俗人にして無骨、川柳とは番茶のことか、と訊く程の野蛮人なり。偶々縁ありて、月給鳥に姿をやつす乱魚、我が研究プロジェクトの事務局長となる。一九七六(昭和五一)年「国際社会における相互依存の構造分析」に始まり、十八年間絶ゆることなし。思考散漫にして、事務能力に欠けたる大学教授連中を、騙し賺しして能く共同研究の成果を挙げしめたるは、乱魚に負ふ所少なからず。圧巻は、一九八五(昭和六〇)年、武者修業と称して、プロジェクトのメンバー数人米国東部のコロンビア大学等に遠征せるときなり。余等連日の研究発表に困憊して喘ぐこと、酷暑烈日下の犬の如し。ひとり乱魚雑務すべてを取りしきり、片々たる金額の領収書に至るまで、整ふるに間然する処無し。同行教授連、斉しく、心を許して乱魚を尊ぶ。乱魚詩神大いに動き、「ニューヨーク遊び心が目をさまし」と歎くもなほ、その身は愼む。秘かに音立ててスープを喫し、僅かに以て故国の自由を偲ぶに止まる。曰く「音たてて飲むとスープの味がする」。 乱魚華甲と聞き、烏兎忽々、天行の健にして速やかなるを思ふ。謹んで祝意を表し、心を舒べて駄文を弄す。 平成七年七月下浣 於久我山陋居 「乱魚今川充(みつる)君は、さる団体の役員なり。以て糊口を凌ぎ、余暇に川柳を嗜む。才忽ち顕れ、平成七年『乱魚川柳句文集』 を上梓す。余に跋を懇ふ。挿絵また秀抜なり。依って彼が風流に些か応へんとせし已矣。」 衞藤 瀋吉 (東大名譽教授、前亞細亞大学学長) ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |