逍遥亭>自己紹介(文語文)足立順二郎 |
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自己紹介(文語文)足立順二郎 足立順二郎氏より御入會に際し文語體のの自己紹介文を拜受、就中、國語表記に關す る率直なる囘心の玉梓、幹事一同深く感じ入り候間、斯に謹んで掲載申上候。なほ原 文末尾に附記有之候も口語文ゆゑ割愛申候段惡しからず御諒承下されたく候(幹事) 氏名 足立順二郎 生年月日 大正9年6月21日 氏名生年月日などは上記記載の通りなり。 昭和8年東京府立第四中学校に入学せり。同校にて英数国漢につき連日恐怖驚愕と もいふべき訓練を受けたり。 昭和12年海軍経理学校に入学せり。今日の表現を以てせば、所謂文系の学校とも いふべし。 昭和15年に同校卒業、主計少尉候補生として実務練習を受けぬ。翌年4月主計少 尉に任官し実務につきたり。 配置上公文書を取り扱ふこと多かりしにより、また当時公文書は法令などは漢文 調の文語体、書簡は候文なりしかば、自然文語体に馴染めり。 恐らくは候文にて上司と喧嘩可能なりし最後の世代なるべし。 敗戦後も昭和29年海上自衛隊に入隊するまで、復員局の事務も民間会社の事務も 特に心に留むることなく文語体を用ゐたり。今より思へばその間に国語表記につき大 変化ありぬなり。海上自衛隊入隊後、現在の用語用字法を用ゐるを義務 づけられ、またこれに馴らされたり。 さて、我にロンドン駐在経験長き叔父あり。彼の言へる口述筆記の要領次の如し。 「我Miss ***と秘書を呼ぶ。彼女紙と鉛筆を持ち我がもとに飛来す。彼女我が言を速 記す。自らデスクに持ち返り直ちにタイプして我がもとに原稿を持ち来る。検査の後 要すれば訂正して原稿を返す。直ちに浄書せられて我がもとに帰り来る。我がサイン あらば則ち文書は完成す。」 こは我が国の手紙を書く手続きに比すれば極めて手早し。 昭和29年、海上自衛隊館山航空隊補給長を拝命せり。 この時我叔父の方法をそのまま真似んと欲し且つ実行に移せり。カナタイプを購入 し、女子勤務員1名を特別に訓練しブラインド・タッチ可能とせしむ。されども、彼 女速記術は知らざりしかば、我が口述を直接タイプせしめたり。 叔父から聞きしが如くに行ひ、補給科内あての命令文は全部カナタイプをもって印 字せり。その結果判明せしことは次のとほり。 @口述筆記といへるものは案外難きものなり。 タイピストをして我が口述の如くタイプし、正しき文章を綴らしむるには、我が頭 脳をよく整理しおくを要す。これ相当の難事なり。 A口述筆記といへるものは意外に易きものなり。 初心のタイピストと雖も口述者の頭の回転に追ひつくはいと易し。 B補給科内の評判は良好ならざりき。 全部片仮名の命令書は、部下より見れば大変読み難きものなりき。 いづれにせよ、これブラインド・タッチ可能の機械による日本文作成最初の経験 とぞなれる。 昭和34年海上自衛隊第二術科学校にてコンピューターを学ぶこととなる。その 時、某海軍先輩に会へり。その先輩曰く、「今次大戦における我が国敗戦の一因に情 報処理速度の遅きあり」と。具体的にはブラインド・タッチ可能タイプライターによ る文書作成能力の早さには我が国の漢字タイプライターは到底太刀打ちできず。故 に、ブラインド・タッチ可能のタイプライターにより書記可能の日本語となすことを 要す」と。 海軍軍人海上自衛官なる職務の人間にとりては真に大切なる意見なりき。 故に、第2二術科学校卒業論文は館山航空隊のタイピストに依頼し全部カタカナ書 きとせり。 その後自ら英文タイプライター操作を自学自習し、ブラインド・タッチ可能となり ぬ。50才を過ぎし頃よりひらかな・ローマ字コンビネーション・タイプライターを 購入、これも操作可能とせり。教会における牧師説教メモを帰宅後ひらかな・ローマ 字コンビネーション・タイプライターにより記録せる経験を有す。 この時代、いづれかと問はるれば漢字廃止論者・ローマ字論者・カナモジ論者なり き。 兎角するうち、16ビットパソコンの市販せらるるに至る。これにてローマ字イン プット仮名漢字変換システムといへるものに巡り会ひたりき。 こは我にとりて大衝撃なりき。 ブラインド・タッチにて日本語書記可能なるにあらずや。 当に脱帽すべし。真に「ソフトウエアに不可能なし」なりき。我ながら文字通り正 に不明を恥ぢ、兜を脱ぎて漢字仮名交じり文に戻りし次第なりき。自己紹介(原文は 現代かな漢字交じり文)にあるがごとき文体にて日本語表記を行ひつつある次第な り。 現用のローマ字インプット仮名漢字変換システムにて少しく困難を感ずる点は、 少々文語体的なる表現を用ゐんとするや、なかなか意のままに変換可能とは言ひ難き 点なり。もっとも、こは我自身の癖なる故単語登録により解決しあり。「ねがわくは ごかいようあらんことを」と打鍵せば「願わくはご海容あらんことを」と一発にて変 換す。 漢字はJIS第2水準まで使用せば概ね用は足る。漢文からの引用にて第2水準によ るも表記不能の漢字は外字作成により処理す。 現在、文語体との接触は書くことに非ず読むことなり。 毎日文語訳聖書を音読す。創世記より黙示録までの通読なり。 旧約は明治訳、新約は大正改訳なり。 文語訳を読み続くるに、なかなか面白きことに気付く。 総じて、文語訳は口語訳或いは新共同訳聖書に比し力強く又口調よき感じあり。 また、何とはなしに有難き感じを受く。これぞ日本語てふ感じなり。 これ世人よく言ふところなり。 我等より年長の世代は、文語訳聖書の時代にキリスト教に出会ひし故ならむか。 今ひとつ、明治訳(旧約)と大正改訳(新約)の間には微妙な感じの差あることなり。 我が個人的推量なれども、明治訳は大槻文法確立以前の訳、大正改訳は大槻文法によ り教育されし学者の翻訳によるものならんといふことなり。明治訳翻訳に当りし学者 たち、恐らくは江戸末期に言語形成期を経し人々なりけむ。言語学者には「江戸は正 しかりき、明治は誤てり」などといふ人あり。明治訳大正改訳を読み比ぶるに「かく もありしか」の感を受くることあり。 口語訳新共同訳は、昭和26年10月30日国語審議会より内閣総理大臣・文部大 臣あて提出されし建議別冊「公用文作成の要領」(翌年4月4日内閣官房長官から各 省庁次官あてに依命通知あり)に相当忠実に従ひて書かれし現代日本文の見本の如き ものとして意味あるものと考ふ。 文語体とのつきあひ、また日本語とのつきあひにつきて駄弁を弄せり。 なにがしか自己紹介になりをれば幸ひなり。 2003年7月11日 足立順二郎 ▼「逍遥亭」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |