粤王寓>「通俗二十一史」岡崎久彦 |
推奨環境:1024×768, IE5.5以上 |
岡崎久彦 通俗二十一史 余が書棚には明治四十四年ー一九一一なればまさに百年前なりー發行の『通俗二十一史』なる、百科事典竝みの大判十二卷あり。 二十一史とは、中國古典世界を記録せし『十八史略』の時代に、その後の元、明、清の三史を加へしものなり。ちなみに、その後、國民黨政府、共産黨政府を加へ、二十三史が中國の全史なりと言ふ。 この書は、總ルビ附きの讀み下し漢文にして、余が小學生時代の愛讀書なり。余、幼時は、額に角を生やしたる伏羲の畫像に惹かれて卷を開き、その後、漢楚軍談と三國志などに血を躍らし、漢の呂太后の殘虐に戰慄せし記憶あり。 余が家、戰災にて全燒せしが、たまたま藏書は倉庫にあり、『通俗二十一史』は燒失を免れたり。 戰後、戰前の上流階級は、たけのこ生活とて、賣り食ひにて生活をつなぎしが、たまたま本屋を開業したき人あり、燒け殘りの藏書を購はんとす。 わが母、子らに問ひて曰く、「この中に惜愛の書在らば保存すべし、と。 余、藏書の中において、金錢價値のあるものは、おそらくこの十二卷ぐらゐなることを知れり。我が家の困窮を知れば、その保存を言ひ出すべくもなかりき。また、これが余の幼時の愛讀書なることは、家族、誰も知らざることなり。脣を噛みて、本の去りゆくを見送れり。 敗戰と戰後の窮乏の時代の、最も辛き記憶の一つとして殘れり。 その三十年後、ハーヴァード留學中、燕京ライブラリーにその全卷を見出せし時は、涙を禁じ得ざりしものあり。 最近に至りて、土屋博氏なる古書發掘の達人のあるを知りて、依頼せしところ、たちどころに、神田の古書肆にてわづか一萬八千圓にて入手せり。 その後時々に閲覽せしが、その内容の雜駁さに驚けり。史書に非ずして講談本なり。「講釋師、見て來たやうな嘘を言ひ」と言ふは眞なり。史實として引用し得る箇所、ほとんど皆無なりき。余が思考、長じて雜駁なるは、幼時にこの書の影響を受けしためなりしかと思ふに至れり。 省みてまた思ふ。あるいは、これぞ江戸時代の教育の基本なりしかと。陸奧の嚴父、和漢佛の達人伊達自得翁の傳記を讀むに、翁、幼時は、四書五經は少しも覺えず、講談本、三國志などに熱中し、その細部を悉く記憶せりと。當時の人々もまた、講談本にて古典に入り、後に正式の原典にて、古典をマスターせしならんと。 しからば、この十二卷、余にとりては、今やほとんど利用の價値なきも、もし、讀者の子弟において、早熟にして讀書好きの童子あらんか、この全卷を進呈するに吝かならず。 ▼「粤王寓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |