粤王寓>「神祕體驗」岡崎久彦 |
推奨環境:1024×768, IE5.5以上 |
岡崎久彦 神祕體驗 余始めての神祕體驗を得たり。 ただし、この神祕體驗は、余にとりては疑ふ餘地なき事實なるも、これを聞く人、其の眞僞を疑ふまた多からむ。神祕體驗の説明し難きを改めて痛感すと共に、以下、能ふ限り一般讀者の納得する文を以つて、これを廣く披露せむと試みむ。 九月十八日氣功教室の日光合宿あり。その間夕食前の時間を利用して、同好者六人集ひて暝想したり。余は、八月に青山圭秀師につきて暝想を學び、以降毎朝實行してひと月餘り。グル−ぷ暝想は初參加なり。 當初の二十分間の暝想はまさに小生毎朝の暝想と變はるところなし。心中マントラを唱へつつ小周天を行ふ。呼氣一分半、吸氣一分(その間無呼吸状態も多かりしならむ。青山師によれば無呼吸状態こそ暝想三昧の證しなれ、とのこと)、八呼吸にて二十分は終はれり。心身爽快と言はば、たしかに爽快なりしも、日常と變はる異常體驗はなかりしなり。 ついで、殘餘の時間に降靈を試みんとの提案あり。靈の名を告げられしも余は知らず。また招靈は余初めての經驗なり。 後日知るところにては、「臼井靈氣療法」、いはゆるレイキの創始者臼井甕男(一八六五〜一九二六)の招靈を試みたる由にして、余以外の同席の諸子は、全員レイキ修行の經驗者なる由。 言はるるままに目を閉ぢて待つに、しばらくは何も起らず。數分經過せし後に、余が背中の筋肉、あるいは腱、ボキボキと音を發して緩み始む。周圍にも聞こゆる音にして、同席者之に驚きて、薄目を開けて余を觀察しきとのことなり。余がうめき聲を上げたりとも言ふ。余には、快感以外の記憶なけれども、うめき聲も出ししやもしれず。二三分づつ、二囘は續ききと覺ゆ。 同席の石見夫人によれば、その場に臼井氏の降靈せしを感得したるにより、「降靈賜はりし上は、その證しを見せ賜へ」と慫慂せし後、余が反應起りきと言ふ。 余がこれを眞の神祕現象なりと思ふには、それまでの經緯あり。 余自らは超能力は持たざるも超能力には偏見を有せず。從來、愛甲氏、持永氏、葉山氏などのスピリチュアル・ヒーリング治療を受けしことあり。 ヒーリングは、約十分間、體の周邊に手をかざして行ふ。その間、二三分間づつ二囘程、背骨の中心、肩胛骨の下あたりが緩み、身をよづるがごとき感覺となり、うめき聲も上ぐることあり。今囘の現象は、それと同種類なるも、一段と激しきものなりき。 かかる現象は心身弛緩に效果あるをもつて、他の手を借らず、自ら再現せむと試みしも不可能なりき。ごく小規模の模倣は可能なるも、ヒーリングを受けし状況そのままの再現は不可能なりき。況して今囘の如きことは人事の及ぶところに非ず。 如上の經驗よりして、何者か、余が從來かつて經驗せざる強力なるヒーラーが余の治療に當りしこと、余としては、疑ふ餘地なきなり。 とせば、前後の經緯よりして、臼井氏が降靈して余の治療に當たられし以外の可能性は無きなり。 説明を盡さむとして、ここに至りて、尚余の説得力の乏しきを嘆ぜざるを得ず・ 小生の如く、スピリチュアル・ヒーリングを受けし數多の經驗を持ち、その都度のその效果を知り、自ら他の助けを借らずこれを模倣せむと試みて成らざりし經驗を持ち、更に今囘のヒーリングの力の尋常ならざるを自ら感得せざる限り、これを眞實と信ずるは至難のことなるべし。 所詮、神祕體驗を他に傳ふるは不可能事ならむか。 余、從來、通常のメディアにおいては公開を憚る原稿の發表に『文語の苑』の場を借りしこと一再ならず。 故瀬島隆三氏の追悼文、故安岡正篤氏の小生評の引用、賣國奴と呼ばれし李完用の評價などそれなり。 ひとへに、文語を解する諸子の世俗を超越せる識見に信據するが故なり。 ▼「粤王寓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |