市 川 浩
平成庚寅八月
菅 直人總理の日韓併合謝罪談話を聞きて王蒼海詩伯に次す
日韓併合百年に當るのこの歳、粤王大人偶々明治四十四年一月發行の「日韓併合記念册子」附録に春畝伊藤博文公、一堂李完用侯ら四名の連作七言絶句の遺墨に接せらるゝのことあり。王蒼海詩伯による當時の國際情勢まで餘す所無き解注と共に、本件の歴史解釋として二つの卓見を「假説」として提起せられたり。時に菅
直人總理日韓併合謝罪談話を閣議決定、愚生感ずる所ある所に、亦この詩に觸發せられ再び別解を試みるの僭越を敢てして詩伯の驥尾に附せんす。妄論御寛恕給はりたく候。
甘雨初來霑萬人 春畝
咸寧殿上露華新 槐南
扶桑槿域何論態 西湖
兩地一家天下春 一堂
甘雨初めて來り萬人を霑す
咸寧殿上露華新たなり
扶桑槿域何ぞ態を論ぜむ
兩地一家天下の春
惠みの雨が初めて降つて萬人を霑すに至つた<
その雨は咸寧殿上の屋根を濡らし美しい露を鮮やかに結んでゐる
夫々扶桑、槿域の美稱を有つ日韓兩國に文化の違ひあるを雨は問はない
列島、半島の兩地が一國家となる天下の春を今迎へてゐる
妄評
第三句までは「甘雨」に合邦の效を象徴せしめ、即ちこれを主語として、「萬民」「韓室」「固有の文化」に今や遍く均霑せむとするを讚ふ。是に對し結句「天下の春」は春の後なほ、夏、秋、冬の旱溢、風雪の來らむを慮りて結ぶなり。茲に於て一堂侯一方の側の心情を敍して詩意一貫せしむるの功あり、今更ながらその器量絶大なるを見る。
一方我が詠者も半島に於ける皇運の寧きを庶幾して些かも霸占主義の臭氣なく、特に轉句「何論態」の語兩國文化の相互尊重の意義を闡明す。以爲、當時斯かる高士の懷ひ遂に我が國庶人に傳はるなく、卻りて國を破るに至る。日韓併合百年を迎ふるの時、菅總理此の詩を訓みてなほ先人を咎むるや。
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