侃々院>「王蒼海詩伯に次す」市川浩
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  市川浩


 王蒼海詩伯に次す       


 滿洲國初代總理鄭孝胥先生が遺墨の詩、偶々粤王大人の許に集る。王蒼海詩伯解注して鄭元總理の胸中を忖度すること至れり盡せり。これに數言を益すは蒙辜の極み僭越の沙汰なるを知りつゝ敢て詩伯の驥尾に附して妄解を試みるの儀御寛恕給はりたく候。


莫然還道文美萌 慢雲摸滿授誠道
逍萬探廼昂畔眞 吟夜超種藏海樓


莫然還るの道に文美萌す


慢雲滿を摸して誠の道(いひ)を授けんとす


逍(もとほ)ること萬(あまたたび)探り迺(ゆ)く昂(かう)畔(はん)の眞
夜に吟ずれば種を超ゆ藏海樓


無心に家路を辿るとふと詩草が浮んだ
雲が一面に掛かつた中を探るやうに最もよい言ひ方をと考へる


自分の職務も高い畔(あぜ)(=畦)から足を踏み外さぬやうに何遍も愼重に考へて眞實の道を探つてゐる
かうして出來た詩を藏海樓で夜に吟ずると、最早詩の種類を超えてしまつてゐる。


大秀才孝胥先生敢て起句と第二句に「道」の同字重複の病を冒すは、起句にては皓韻上聲(みち)に詠み、第二句にては號韻去聲(いふ)に詠む同形異音なるべし。因に脚韻を閲するに、「萌」は庚韻平聲、「樓」は尤韻平聲なり。


結句の語意不確かなるも、「超種」は同字重複、脚韻不整など詩の種類を超越するの意に詠まば、舊來の思考に囚はれず大膽に國政を運營せむとの氣魄胸に迫るものあり。


江聲定奇絶 氣湧如排山
忍寒吹燈坐 得意風濤間


江聲奇を定(をさ)めて絶ゆ


氣の湧くこと山を排(お)すが如し
寒を忍び燈を吹きて坐す
意を得たるは風濤の間


川が凍るとともに風波の奏でるさまざまの水音もをさまり、靜かになつた
しかし山を推し開かむばかりの氣配が湧いてくるのがわかる
自分は今この氣配を感じながら、冬の到來した部屋に坐して囘想する
得意のときは風が吹き、水が波立つてゐる間だけであつたなあ


「吹燈」は燭を點けむ爲に火を吹くと解するは如何(火吹き竹=吹筒)


動亂の世も川の奔流が凍れるが如く靜止し、更に大き動亂へ向はむとするの時、最早自分の意の如くならずとの諦觀を敍して餘りあり。


以上  


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