侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  平成二十年一月九日 
   陸奥宗光の詩



 余所蔵するあまた我樂多の中にありて、これのみは後世に傳へたきものの第一は陸奥宗光の書なり。





千古の雄圖 誰ぞ君に比せん
東征北伐 乾坤をゆるがす。

如今の豪傑 きも何ぞ小さき
漫りに唱う 歐州均力の論


歴山王(アレクサンダー大王)の像に題す。
              六石狂夫
とある。

 インドに至るまで古代全オリエント世界を征せるアレクサンダーの偉業に比して、歐州バランス・オブ・パワーなど唱へる同時代人ビスマルクを「ちいせえ、小せえ」と嗤ひたる氣宇壮大なる詩なり。

 落款無し。陸奥は當時のモダン・ボーイにして、揮毫を遺す如き東洋的傳統を貴ばず、終身印は帯びざりしと言ふ。
 これを惜しみたる余が祖父岡崎邦輔、陸奥の書生に命じて、陸奥の手習ひの書を貰ひ受けしめ、落款なきが故に、後の樞密顧問官竹越與三郎をして箱書きさせ、當時として最高級の表装をして、後世に遺さんとせしものなり。

 實は、この書、余が亡父より家寶として相續せしものに非ず。一旦人手に渡りしものなり。
 亡父の大學同級の親友に大橋忠一なる人物あり。松岡外相の折に、外務省史上空前絶後の若さにて外務次官となれり。(おそらく四十五、六ならん)その就任の記念に亡父が贈呈せしものなり。

 その間の事情余の全く知らざりし事なるも、余がパリ在勤より歸りてしばらくの後、突然年賀葉書我が家に到りて、「君からあづかった陸奥の書(歴山王の詩)、君の息子に返送して良いか。如何。君の息子の方が僕より豪くなりそうだから」とあり、まもなく余の許に小包届けり。

 大橋氏直情徑行、傲岸不遜にして、外務次官としては大量の人事整理をして外務省内の怨みを買ひ、戰時中は軍と良からず、戰時中疎外せられて公職は與へられざりき。
 戰後故郷より立候補して短期間代議士を務められしが、総裁公選に際して現金を持って訪れし同僚の議員に対し、「貴様が札束を携へしことは、即ち、萬が一にても、余が金で動くと思ひしことなり。そのことのみにても余に對する侮辱なり。以降、汝とも、汝の親分とも口をきくことは非じ」と一喝して追ひ出し、その後も「政治家ほど不愉快なる商賣は無し」と公言して、やがて政治を離れたり。

 この軸は、當時はすでに大橋氏の私物なり。
 外務次官後は言はば、失意の人生を送られたることを思へば、史上最年少にて外務次官になられたる記念として將來にわたりて大橋家の家寶として傳へられるべきものなり。
 それを一枚の年賀葉書にて「君から預かった」ものを返すと言ふ潔さ、この大橋氏の心事は、戦後の窮乏の中で伝統的な矜持を失ひし日本人の一人として、余にとり深き教訓なりき。

 なほ、雅號「六石」は、豪放磊落の熟語に用ゐらるる磊の字を重ねて、磊々の意なりと言ふ。
 和歌山縣の先輩和田周作大使、かつて、この書を見て、「六石」とは陸奥のことかと膝を打たれたり。
 和田家は楠正成の頃よりの紀北の名門にして、大使の祖父和田安一郎氏は余が祖父岡崎邦輔と親交あり、往復の書簡の中に六石といふ言葉が頻りにあるを怪しみをられしが、これを以ちてその謎解けし由なり。



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