侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦 |
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十月十八日 愛甲居士講演「明惠上人について」 十月十七日 明惠上人についての愛甲居士講演を聞く。 常人の及ばざる嚴しき修行によりて自らを鍛錬し、貴顯、僧俗全ての人々より崇敬され、明治に至るまで、良寛と並びて日本人の尊崇を受けし達人の全容を紹介して餘すところなき名講演なりき。 とくに現代の「修行オタク」の異名を取りし愛甲居士の明惠上人理解には、凡百の學者、宗教家、思想家のたうてい及ばざる深みと親近感あり、聞く者をして魅了せしむ。 愛甲居士の説明を反芻するに、余が心中に、おのづから沸き出でし明惠上人日常のイメージあり、筆の遊びにこれを記さん。 明惠上人、おそらくは、日夜端座、黙想、讀經して、横臥すること無かりしならん。現代の佛道修行の例より見るも、睡眠の時間極めて短かかりしこと、想像に餘りあり。 幕末においても、福澤諭吉、緒方洪庵の塾にて蘭學を學びたる時、四六時中勉學に勤め、眠るに當りては、机に突つ伏して眠れりといふ。荒行と言はるる以上、當時としては終日端座して横臥せざりしは通常のことと想像す。 あるいは、また、福澤諭吉の如く、睡眠に時間を一定せず、端坐したるまま、瞑想に疲れておのづから眠り、また醒めては瞑想し、覺醒睡眠一如の日々ならんと想像す。 古きは、達磨大師の故事あり。排尿排便にも座を立たざるが故に、両足腐蝕し、これを失へりと言ふ。達磨に足なきはこの故と言ふ。明惠また、達磨には及ばずと雖も、大先達達磨大師に近き荒行を志せしは想像にあまりあり。 かくして日夜端座黙想讀經して、雜念の排除に專念するの日常なれば、物を見、物を觀ぜしは、假眠の際の夢中以外にあるべからず。然りとせば、荒行の期間中明惠の見し夢はその間の唯一の知的經驗と言ふべく、『夢の記』は、睡眠中の夢の記録ならずして、明惠の日々の日誌と言ふべきなり。 愛甲居士講演の中において、『夢の記』の記するところ、その幾ばくかは神秘體驗ならんと述べられしも、かかる状況において、神秘體驗をせしは、當然豫想し得るところにして、敢へて、異とするに足らざるなり。 また平凡無意味なる夢もありしと言ふも、即身成佛せし身にあらざればこれまた当然の事なり。 荘周(荘子のこと)かつて夢に胡蝶と爲れり。栩々(くく)然(ひらひら)として胡蝶の如く 周なることを知らざるなり。俄然、覺めれば、々(きょきょ)然(まぎれもなく)として周なり。 周、夢に胡蝶と爲れるか。胡蝶、夢に周となれるかを知らず。 有名なる莊子の一節なり。 明惠上人また、荒行に徹して、幽明二極の間を自由に往來彷徨せしならん。 我が國にかかる達人ありしこと、そして後世の人、その眞價を知りて永くこれを尊崇せしこと、有難きことと存ぜらる。 -- 追記 -- 拙文を、仁和寺で修行得度せる福井良平氏に示しし所、國寶明惠上人像を送り寄越せり。 賛には高山寺山中縄床樹定心石とあり、石上の樹に縄床を組んで結跏趺坐したる圖なり。 我ら現代人は、松籟の下、小鳥の囀りを聞く風流を想像するも、轉じてその眞を探づぬれば、あるいは寒暑風雨虻蚊も厭はぬ荒行なりしやも知れず。されどその容貌端正温和なることその人柄おのづと顯る。 ▼「粤王寓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |