侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  粤王詩話 其二 涼都之賦 - 王蒼海       


冠省 文語の苑なる雅趣溢るる庭園の内、粤王寓、此の度こけら落しとの趣、先ずは祝着至極にて御慶を申し上げ奉る。願はくば假想(う゛ぁちゃる)の書院の門下に假想の食客、草鞋を脱ぐことをお許しあれ。


 陳者、國事經綸を談じては謹嚴なる粤王大人も大雅の堂にては輕妙洒脱なること、以て戰前の東京人の雅風を徴すべく、晩生の最も敬愛するところなり。大人の山の手言葉もまた昔日の東京の品格を紹(つ)ぐものにして、過日、東京辯も山手下町のみならず、東西南北によりてもその音韻をやや異にするといふべしとの私見を大人に問ひしに、大人も之に同意せることあり、まさに知音を得たる思ひなり。 地口秀句の類は、僅に淺草藝人これを繼承すといへども、深院大宅裏に密かに飛び交ふ駄洒落に呵々大笑するは蜀山人の遺訓、たとへ陋巷にありとても冗句の應酬を忘れざるは八笑人の美風にて、渾て江戸の名殘と謂ふべきなるも、神田囃子は夙に無形文化財の榮を得るに狂歌狂詩を保護する文化政策あるべくも無く、ただ世風日に下りて人情味とともに忘らるるこそ口惜しけれ。 さて、大人の詩賦を拝誦するに、「涼都」に典故なしともいへず。北涼の都は「涼都」にて、乾陀羅(がんだあら)と絹の道にて繋がれる西域の一大據點として、鳩摩羅什ここに留まり數多の佛典を翻譯せること史書にあり。唐代、「涼州」は西域の戰略重地にて、騒客が歌枕、「葡萄の美酒夜光の杯」なる「涼州詞」は知らぬ人なし。醉ひて沙場に伏すとも君笑ふなかれ、とは千古の絶唱にして、醉狂の淵源また茲にあり。昭和戊辰年、伊伊兩國干戈を漸く偃むる時迄中東はまさに沙場にて、此の詩の洒落っ氣の後背に憂國奉公の情も伺ふを得。 とまれ、大人、晩生に「涼都之賦」を示し玉ひ、平仄押韻格律典故は擱きて藝に遊ぶべきを誨へ玉ふことを頂門の一針として、狂詩を捻り出し、電腦世界内の粤王寓の壁無き壁に題し、落書以て立號の御慶を申し上げては將に高誼に報い奉らんとす。


謹題粤王寓壁 謹んで粤王寓の壁に題す
文語苑中粤王寓 文語の苑の裡なる粤王寓よ、
電網恢々疎不漏 電網(いんたあねつと)こそ天網恢々なり。
縹渺假想名不虚 行くへも知らぬ假想世界なれど、名声はすぐにつたはり、
食客三千悠然留 書生三千人が何時の間にか其の中で悠然と留まつてゐる。
    平成丁亥孟秋晦日   
             王蒼海 恐惶頓首


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