侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
推奨環境:1024×768, IE5.5以上




  


  九月五日 寺山旦中居士を偲ぶ       


 旦中居士もまた今春逝く。


 居士は、二松學舎大學教授、筆禪道の師家なり。直心影流の剣の達人にして、大森曹玄老師に参禪し、剣、禪、書を行じ、日本國内のみならず、歐州においても日本文化啓発の功あり。


 一昨年暮れ、急性の癌を患ひ、餘命幾ばくも無しと告げらる。文語の苑の同志、愛甲、葉山兩氏、こもごもに氣の治療を施し、病小康を得せしむ。


 その一年半ばの間、苦痛もなく起居自由にして、専ら書の製作に親しみたる由。


 數年前物故せし、藤井龍角散の社長藤井康男氏は、余府立高校尋常科以来の同級生なり。


 社長室フロアの一室に帝國海軍連合艦隊の全艦艇の正確なる模型を─哨戒艇にいたるまで揃え、太平洋を模したる卓上の毛氈をモーターにて捲き動かし、連合艦隊の観艦式と稱して客に示して樂しめり。


 常に謂ふて曰く、「死するとせば、癌なり。腦卒中の如く家人の介護を要せず。死期予想し得れば、準備に惑ひなし」と。果たして癌に死す。彼また人生を獨歩せし達人なりき。


 旦中居士また死期を知りつつ製作に從事せり。稀世の達人、稀世の時に恵まれて製作せし作品なり。その間の作品の展示會、刮目して待つべきものあり。


 余、常々旦中居士の書風を古今獨歩と呼べり。余が感嘆せしは、居士の書中の圓相のごとき圓き線なり。禪僧の書する圓相の峻烈なる圓に非らずして、春風駘蕩たる圓なり。余、臨書を好みて、古今東西の書を臨すれども、かかる圓き線を未だ知らず。故に古今獨歩と呼びしなり。


 しかれども、告別式に展示されたる遺作を見るに、この圓き線を見ず。あるいは、居士、終はりに臨みて書風に變るところありしか。古今獨歩と雖もそれまた癖なり。その癖を克服するところありしか。


 居士の著書『書道鑑賞』のあとがきによれば、居士かねてより山岡鐵舟の書に心酔し、乏しき収入の中にありて、鐵舟の書を求めてその法理を學ばんとせしとあり。


 されば居士の人生の目標、山岡鐵舟の剣禪書の域に達するにありたりと想定するもあながち誤りならずと信ず。余、その一端をすでに遺作中の扇面「看破了」の書風に見る。


 旦中居士を慕ふ筆禪會の展示は十一月二十日より二十五日まで銀座鳩居堂、旦中遺芳展は明一月二十三日より二十九日まで銀座松屋七階の豫定なり。余、之を観るの時を日を數へて待つ。旦中居士、鐵舟の域を超えたりや否や、と。 


▼「粤王寓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る