侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  八月三十日 涼都の賦       


 駄文駄詩を連ぬる中に、サウジのリヤド在勤中の、極めつけの駄詩を想ひ出だせり。


 サウジアラビア在勤に際し、初めに心に決めしことあり。暑さを口にするを抑へ、 「暑し」に代えて「涼し」と言ふことこれなり。故に、首都リヤドを涼都と呼び、書簡末尾には「涼都より」と記することとせり。 大使館内天婦羅コーナーを「涼都庵」と名づけ、時の外相安倍晋太郎氏のサウジ訪問に際しては、白木の看板に揮毫を煩はせり。


 時に詩に賦して曰く


駝群 斜めに走りて 還る 離宿(リヤド)
漠南 訪客稀なり  遼都(リヤド)
炎風炎砂の癘土(リヤド)と雖へども
心頭滅却 是 涼都(リヤド)



 同字、都を使ふこと再度、離宿に至っては和漢混淆、蒼海先生の教へを乞ふ餘地も皆無なる駄作なれども、如何なる邊境、瘴癘の地ありても、カラ元気、痩せ我慢を失はざるの外交官の心意気を唄へるの詩なり。


 後に、サウジ滞在のメモワール(未公表)を記するに当たりて、表題を當初は、「左氏春秋」(左氏はサウジと読むなり)と名づけしが、結局は「涼都亭記」とせしも、痩せ我慢の趣旨なり。  


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