侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦 |
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岡崎久彦 七月十八日 宮澤氏追想PKO法案 余、タイ大使として在勤の際、米國首唱する國際的大麻藥撲滅運動ありき。米國はじめ各國、特殊部隊を驅使して、各地の麻薬マフィアの本據地を急襲して破壞せり。 日本もとよりかかる武力行動に參加するの意志も能力も無し。タイ北部の麻藥生産地帯の農民に罌粟(けし)の代替作物栽培を教ふるを以つてこれに代へんとせり。 既に歐米のボランティア諸團體等、マフィア跳梁する邊境の地において、危険を冒して、代替作物を指導しつつありたるも、日本大使館としては、日本の特殊事情を勘案して、特に警備嚴重にして安全なる王母殿下直營の王室農場にてこれを實施せんとしたり。 然るに、本省より、派遣日本人の絶對安全の保證をタイ政府より求めるべき旨の訓令接到せり。 かかる理論的には不可能なる訓令に接しし、大使館員思へらく、「大使(即ち余)に告ぐれば、直ちに電話を取りて本省を叱責すること疑ひなし。そは本件の解決に百害あって一利なし」と。 その後館員、タイ側關係官廳を訪るること數回、現地が如何に安全なるかの説明を受け、その度に東京に結果を電報し、かかるやり取りの後、東京も出先の努力を多として、専門家派遣に同意せり。これ以つて館員、初めて、余にその旨の報告あり。一件落着まで、館員、本件につき余に知らしむる所皆無なりき。これぞ,頑迷固陋なる戰前教育派大使に仕ふる戰後派官僚の鏡なれ。 七月八日の「宮澤氏回想」の總理會見の折は、やがて牛歩國会となるPKO法案審議中なりき。 宮澤總理、右の余の體驗を聞かれ、深く慨嘆されて曰く、「余の爲すところ、全く同樣なり。余にして、一言、派遣隊員の危険に言及せんか、法案の空中分解すること必然なり」と。 當時の日本の風潮かくの如し。夏休みのプール開きに際し、吾が子に關する限り事故皆無なることを保障せよと要求する父兄もありたりと聞く。後世の人、あるいは、この風潮を理解するに困難あらんことを想ひ、ここに記録に留めんとす。 ▼「粤王寓」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |