侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  岡崎久彦


  七月十九日 
   椎名氏追想PKO法案 湾岸戦争
       


 灣岸戰爭勃發するや、自衛隊をして國際協力を行はしむる必要を指摘する聲高く、政府また、後にPKO法案となる國内法整備の檢討に入れり。


 政府、日本によるPKO法整備に關する近隣諸國の意見を求むるための特使派遣を考慮し、ASEAN六ケ國及び中韓駐在日本大使に對し訓令を發し、先方の受け入れの打診を求めたり。


 當時駐タイ大使なりし余を除く七ケ國大使、忠良なる官僚として、直ちに訓令を執行し、先方の受け入れ可能を返電したり。


 かかる中にありて余として釋然とせざるものあり。法案通過後説明のために特使を派遣するは善し。法案の原案さへも未確定なるこのときに意見を求むること、特に、當時の中韓にこれを求むることは、法案を事前に破棄するに異ならずや、と。また、爾後、事、我が國の安全保障に關する事案につき一々中韓の意向を聞く先例になる惧れなきや、と。


 余、時間を稼がんとして、訓令に種々反論せり。流石、当時の時流として、正面からの反論はし得べくも無かりしも、特命全權大使を任命し置きて別に政治家の特使を派遣するは惡しき前例とならざるやの意見は外務官僚の縄張り意識の琴線に觸るるところあり、好意を以つて受け入れられたりと聞く。


 この間余椎名氏の助けを求めんとせしが、東京に不在なりと言ふ。漸くワシントンのホテルに深夜電話せしところ、氏直ちに事態の重大性を認識して東京の要人に連絡すると同時に、屋山太郎氏などの評論家に電話して評論界の根回しも怠たらず、後日、電話代厖大なりきと苦笑されたり。


 椎名氏の懇請を受けし、藤尾正行前政調會長、當時總務會所属なりしが、外務省に栗山次官を訪れて、大喝一声、中止を要求し、本件はこれを以つて已む。


 當時の新聞は全く事情を知らず。中國派遣特使に加藤紘一氏の名ありたるを以つて、特使の人選が廣池會に偏したるを安倍派の藤尾氏が怒りしものなりとするものあり。また、風聞としてワシントンよりの電話による介入(一半の眞實あり)を示唆するものもありき。


 今、椎名氏、藤尾氏ともに故人となりて眞實を語る由もなく、ここに余の備忘として記し置かん。


 今にして思ふも、もし近隣諸國の意見聴取の前例確立せば、その後の日本の安全保障政策は如何になりしならんと竦然たるものあり。現に、憲法改正の公聽會に中韓の代表の意見を求むべしとの議、その後も自民黨の中にもありしと聞く。


 余、外務省に四十年の禄を徒食して、なんらお國に貢献するところなきを恥づるも、これのみはいささか快心の一事なりき。


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