侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  岡崎久彦


  七月十八日 
   椎名素夫氏追想 平成十五年秋
       


 平成十五年、椎名氏は自らの進退に深く懊惱するところあり。


 翌平成十六年參議院改選あり、椎名氏が地元、もとより再立候補を期待し、またその場合當選確実なりしが、椎名氏、元來政治の塵界に何の未練もなく、田園將に蕪(あ)れなんとすの思ひ切なりき。


 然れども、椎名氏政界を去り難き一つの想ひあり。後事を託するに足る人材の無き事これなり。「この人ぞ、と期待をかくるも、必ずや、その言動の恃(たの)み難きを知る。」と常々洩らすところあり。小學校以來戰後左翼偏向教育に浸り、六十年安保、七十年安保の中に學生生活を送りし、我々直後の世代への不信なりき。


 平成十五年秋九月二十一日の午後、突然、椎名素夫氏より電話あり。余もまたテレビにて、安倍晋三氏の自民黨幹事長就任を知りし數分後なり。


 「善き哉。善き哉。最早余にして永田町付近を徘徊するの用無し。然り。」と、自問自答して、その瞬間より引退を覺悟されたり。


 想ふに、彼にして,一片の私心もなく、在りしは邦家の前途のみなりしなり。功業、彼の施すと、他の施すと、何の差異も感ずるところ無かりき。


 安倍氏その後官房長官、總理となり、自民黨數十年の懸案を次々と解決し、更に、集團的自衛權の問題、憲法改正に一歩を踏み出しつつあるを見納めつつ、椎名君は世を去れり。余、年來の舊友を失ひ、歎惜に堪へざるものありと雖も、彼にして、以つて瞑すべきものありしと言ふべきか。


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