岡崎久彦 - 朝鮮史散策 - 六
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 岡崎久彦


  その六 高句麗建國



 高句麗始祖朱蒙もまた稀有の英傑なりしならん。數多の神異傳説あり。  曰く、天帝の裔にして河伯の娘の子なりと。又曰く卵生にして、これを棄つるに犬豚これを食らはず、鳥は覆翼すと。 いずれも英主を讃ふる傳説ならん。ただその傳説の處々に出雲傳説と遠く相通ずるところありて日本人の想像力を刺激するものあり。


 朱蒙は、漢代に満州に榮えし扶餘国の王子たりしも、その材幹他に秀でしものあり、 兄弟の嫉視を受けて害されんとするを遁れて出奔す。途中一大水に阻まれ、追手の迫るや、魚鼈水上に並びて迎へ、 其の上を渡りて脱るるを得たり。鴨緑江西岸の支流卒本川に都を定め、國を建てて高句麗と號せしも、 水中に菜葉流るるを見て上流に人住むを知り,尋ね行きて沸流國に到る。沸流國の王と弓を射て其の藝を較べ、 これに勝ちて沸流を併すと言ふ。


 大國主命の兄弟に迫害せられし説話、因幡の白兎の鰐の上を渡りし説話、須佐男の命、 上流より箸の流るるを見て人の住めるを知りし説話、出雲國譲りの説話、偶然と言はんにはあまりに相似通ふもの多し。 他面、類似せると言ふも、説話の発想點のみ共通し、その運びは全く異なれるものあり。 もし相互に關連あるとせるも、歴史的時間的に遙か遠く離れしものあるを想像せしむ。


 三十餘年前、余、韓國赴任に際しコロンビア大學のレッドヤード教授に朝鮮問題の教へを乞ひしに、同氏曰く、 高句麗、百濟、日本の建國神話に全て共通點あり、おそらくは全て古代扶餘の系統ならんと。 また人言ふ。東アジア黎明の時にあたり、大陸に面せし出雲地方は表日本にして、その餘の地域、 とくに太平洋側は悉く裏日本なりしと言ふ。扶餘の遺民、高句麗、百濟に遁れしとき出雲地方にも渡來せしにや。 史實は最早知る由もなく、ただ後世我々の想像を刺激するのみ。


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