岡崎久彦 - 朝鮮史散策 - 二十 |
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岡崎久彦 其の二十 金信 新羅による三國統一の第一の功は金信に在り。古代朝鮮の正史たる『三國史記』は中國風の紀傳體を採り、本紀二十八巻、表三巻、志九巻、列傳十巻より成るも、列傳初めの三巻を金信傳上中下巻とし、その後七巻を、劍君、蓋蘇文などその餘四十九人の傳記に當つ。此れ以ちて金信の建國の英雄たるを知るべし。 金信は十五歳にして花郎となり、十八歳にして國仙(花郎代表)となる。 金信の末妹は金春秋に嫁して、両者は義兄弟となれり、車の両輪の如く國事に盡瘁す。 『三國史』本紀謂ふ。金信に寶姫、文姫の二妹あり。一夜寶姫山頂に尿するに都に滿るの夢を見たり。妹の文姫戯れに錦裙を以ちてこの夢を買ふ。十日の後、春秋と信蹴鞠をするに春秋の衣綻ぶ。寶姫さはり有りて出でず、文姫此れを繕う。春秋これを悦び、婚を請ふ。やがて生まれし男子こそ、後の半島統一の英主、文武王法敏なり。その弟金仁問また幼にして学び、群書を博覧し、射御を善くし、識量廣遠にして能く兄を補佐す。 金信は六七三年に没す。享年七十九歳なり。新羅軍大將軍として、全ての戰ひを領し、勲功數ふるに遑なし。 特に六四九年の大勝はその後羅濟間の形勢を決せるものなり。その年百濟の將殷相、精兵を率いて新羅の七城を陷す。大將軍金信これを迎へ撃ち、旬を經て轉戰し、死屍野に滿つも、相互に勝敗有りて決せず。 時に、信百濟人の諜する者あるを察し、佯りて、軍中に令して曰く、壁を固くして動かざれ、明日援軍の至るを待ちて決戰せんと。諜者殷相に報じ、百濟軍新羅の増援至るを疑懼して怯む。ここにおきて信等奮撃して大いに克ち、將軍を虜にし、殷相および將士十人、卒八千九百八十人を斬り、馬を獲ること萬匹なり。 ▼ その二十一へ ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |