岡崎久彦 - 朝鮮史散策 - 二
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 岡崎久彦


  その二 檀君神話



 朝鮮開祖の檀君神話につきて、林は「支那唐尭の時に當りて、神人の太伯山檀木の木の下に降るものあり、 因りて之を檀君といふとは、後世佛教家の附會にして信ずるに足らざることは明らか」なりと、 客觀的史家の立場より一刀の下に切り捨つ。


 青柳はすでにして帝國主義時代の子なり。これを日韓同祖説と結びつけ、日韓合邦の一つの理とせんとす。


 「檀君史料は、流言浮語の如き一種の傳説に過ぎざるが如きを如何せん。 然らば韓史傳説の檀君朝鮮は束ねて之を漢江に投ぜんか、否々神代の傳説は記録の徴す可き無しとして之を抛棄す可きに非ず」 として、帝釋天の子桓雄が、往きて地上を治めんとし、三千人を率ゐて太伯山頂檀樹の下に降りたる傳説の 天孫降臨傳説との類似に想像の翼を伸べ、「檀君神話の如き此種のものは日本にも之有り矣。 我紀元前幾百千年の以前において朝鮮北部の地及び日本西陲の邊に於いて既に優良なる一部民族の棲息したるは疑ひを容れず、 即ち我日鮮氏族は其祖先の同型なるも一衣帶水を以て兩島に分家したるに過ぎず。按ずるに檀君は日本の天降民族と同種族にして、 一は熊襲、アイヌを征し、一は穢儲(朝鮮半島先住民族)等を征し、現今の日本諸島及び韓の半島、 遼東の地は悉く我神族の政治下に屈伏せり。兩地の生民が同じく天降神族の神代史を朦朧ながら 後世に傳説したるを悦ばずんばあらざるなり。」


 稚氣溢るる帝國主義史觀と言はんか。しかれども、日本を出でて初めて韓國の言語風俗に接し、 そのあまりにも日本に近く、中國に遠きを知り、歴史上何らかの時點における日朝同祖を想像せるは、 今に至る全ての日本人に共通せり。


 戰後は韓國が極力同祖論を否定せんとせしがため、之を口にするは憚らるゝも、青柳の説には、 初めて朝鮮の文化、歴史に目を開きし日本人の感懷として、單なる植民地主義の牽強附會の説以上の何ものかが存するべし。


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