岡崎久彦 - 朝鮮史散策 - 十三
推奨環境:1024×768, IE5.5以上




 岡崎久彦


  その十三 新羅の勃興



 一世紀餘りに及ぶ新羅百濟連盟の間、高句麗との抗爭はほとんど麗濟間に行はれ、新羅は國力を涵養するの暇を得たり。かくして智證王(五〇〇即位)の時に國號を新羅に一定し王と稱し、殉死を禁じ、州郡県の制を布き、于山国(鬱陵島)を征したり。次なる法興王(五一四即位)金海加耶国を併合し、官制、律令を整へ、仏法を迎ふ。わが国聖徳太子の改革に先立つことほぼ百年なり。


 次なる眞興王(五四〇即位)こそ新羅中興の英主なれ。王は七歳にして即位し、四三歳にして没するも、百濟聖明王と共に高句麗の舊帯方郡を略取せし時は年僅かに十八歳なりき。賢臣、勇将よくこれを補佐せしならん。


 王は、舊帯方郡に新州を置き、その都督に、さきに新羅が併合せし金海加耶王の子を以つてせり。彼は後に新羅統一の功臣たる金?(ユ)信の祖父に當れり。新羅の被征服地の人材を遇することかくの如し。任那最後の仇衡王も降伏後舊領を食邑として與へらる。新羅が能く半島の人心を糾合するを得たりしもまた故なきに非ざるなり


 王は篤く佛法を尊信し、興輪寺、皇龍寺等の大伽藍を建立し、末年には自ら剃髪して法雲と號せるほどにして、佛法は王の時著しく興隆せり。また、金海の遺臣に命じて伽耶樂を傳へしめ、廣く文士を集めて始めて國史を修せしめ、また、美貌の男子を取り、これを花郎と名づけ互ひに道義を磨かしめ、其の中より選抜登用して國政に當らしむるの制を設けたり。


 花郎こそは、互ひに學藝武藝を切磋琢磨し合ひ、新羅王の下に、半島統一の大業を成し遂げたる、旗本、騎士階級にして、新羅武士道の華なりき。


▼ その十四へ
▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る