岡崎久彦 - 朝鮮史散策 - 十
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 岡崎久彦


  その十 神功皇后



 神功皇后傳説につきては戰後史において否定的見解多し。その主たる論據は、當時日本が敵對せしは高句麗にして、 説話の言ふ新羅に非ず、故に、この説話は日本が新羅と敵對せる記紀作成當時の創作ならんとするにあり。 この論點に限りてはおそらくは正しからん。


 しかれども、その背後には、日本は朝鮮半島より文明を受けし後進國にして、日本による朝鮮半島出兵征服は全て 歴史の捏造なりとする一部の韓國側の史觀、さらに大和朝廷すでに半島出兵可能の強力なる統一國家を代表せることを否定せん とする日本戰後史家の偏見、さらにその源には日本の説話、神話を悉く否定せんとする偏向史觀在るは否定し得ざるところなり。 かくのごとく日本民族の貴重なる財産たる記紀の記述を、一部の誤りを理由にして全否定するが如き姿勢は余の採らざるところなり。


 ただし、かかる戰後の偏向史家といへど當当時半島におきて、記紀の説話に有るがごとく日本の軍事力強盛なりしを 否定し得ざるは、朝鮮側に其の趣の記述あればなり。


 殊に、神功皇后とほぼ同時代あるいは多少下ると推定さるる廣開土王の碑文は貴重なる金石文なり。 もとより王の事績を讃ふる文にして、最終的には倭寇潰敗、斬殺無数などと記せるも、それに至る過程におきて、 日本の大軍海を渡りて百濟新羅に進出し、これを服属せしめ、また漢江を越え、かっての帯方郡まで深く攻め込みたりとの記述あり。


 かつてシュリーマン、ホメロスを読みてトロイの発掘を志し終にこれに成功せし事例あり、 人類の伝承せる説話敢えてこれを無視し得べけんや。


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