岡崎久彦 - 出師の表 - 五
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『出師の表』 五  岡崎久彦


 侍中侍郎・郭攸之、費、董允等、此れ皆良実にして志慮忠純なり。是以て先帝簡抜して以て陛下に遺したまふ。愚(孔明)宮中の事を以為(おも)へらく、事の大小と無く、悉く以て之に諮り、然る後施行す。必ず能く闕漏を裨補して廣益する所あり。將軍向寵は性行淑均にして軍事に暁暢す。昔日に試用され、先帝之を稱して能と曰ひたまふ。是以て衆議寵を擧げて督と爲す。愚營中の事を以爲(おも)へらく、事大小と無く、悉く以て之に諮る。必ず行陣をして和睦せしめ(軍内相 和し)、優劣所を得しむ(人材の登庸、配置に誤りなし)。


 諸葛孔明と言へば、凡俗の思考を超絶し、神謀鬼策湧くが如く出づる超人の如く傳へらるるも、實は賢臣、名將の意見を能く徴し、衆智を聚めて決斷し、しかも欠漏あるを常に惧る謙讓さありしは、この一文より察せらる。また人物評價において、忠純、あるいは淑均(淑は控へ目、謙讓、均は公平無私なる事)を重んじ、圭角又は自己主張の強き者を遠ざくるの風ありしも窺へる。


 郭攸之は史上活躍の事例に乏しきも、孔明と同じく南陽の出身なれば、孔明の古き知己ならん。費は、孔明の信頼最も厚く、かつて呉に使し「辭順にして義篤く、」孫權甚だこれを器とし「君は天下の淑徳なり。必ず蜀朝に股肱たるべし」と謂へり。後に孔明終りに望んで後繼者を問はれ、蒋 、費を指名せり。なほ、向寵を近衞軍團の長として遺すにあたり、孔明蒋を參軍として補佐せしめたり。


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