岡崎久彦 - 出師の表 - 四
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『出師の表』 四  岡崎久彦


「宮中、府中倶(とも)に一體となり、臧否(私財を蓄へてゐるかどうか)を陟罰(昇進させるか罰するか)するに、宜しく異同あるべからず。」


 廉潔の士を擧げ、貪官汚吏を罰するに際し、一たん法廷が裁定せしものを、後主が恣意的に覆へせし事ありしならん。


「若し奸を作(な)し科を犯し、及び忠善を爲す者有らば、宜しく有司に付して其の刑賞を論ぜしめ、以て陛下平明の治を昭らかにすべし。」


 賞罰は、しかるべき有司に付して公明正大に行ふべし。これこそ皇帝劉禪の公正なる治世(ちせい)の証(あかし)なれてふ當然の進言なり。これに反する言動多く有りしならん、


「宜しく、私に偏して、内外法を異らしむべからざるなり。」


 後主劉禪に如何なる偏頗非行ありしかは、この時期の史書には審(つまび)らかならず。わづかに出師の表の文言より窺ひ知るのみ。但し、後主治世末期、宦官黄皓を寵愛して、淫樂に耽りし史實あり。當時既にして小人を偏重し、有司の公正なる裁きを宮廷において覆へせし事例ありしならん事、右の一節より明らかなり。


 かかる凡庸の主を輔佐する孔明の苦衷察するにあまりあり。他面細事小惠の感慨なるも、かかる凡才を以て漢室復興の志士達の期待に應へざるを得ざる後主の心情もまた哀れなり。荊棘の上に坐する心地ありしならん。後に魏に降り、安樂公に封ぜられて初めて心の平安を得たりと傳へらるゝも亦むべなるかな。


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