岡崎久彦 - 出師の表 - 二
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『出師の表』 二  岡崎久彦


 「先帝創業未だ半ばならずして、中道に崩したまふ。今天下三分 し、益州罷敝せり。此れ誠に危急存亡の秋(とき)なり。」


 天下三分し、魏は十二州、呉は四州を擁するに對し、荊州を失ひし蜀は纔かに益州 一州なり。しかも呉の役大敗の傷未だ癒えず、最も疲弊す。この時に當つて新たに北 征の師を起すは何ぞや。その理は、出師反對論漸く盛んとなる第二次出師表により詳 (つまびら)かなり。曰く、


 「然れども、賊を伐たずんば王業亦亡ぶ。ただ坐して亡ぶるを待つと、これを伐つ と孰(いづ)れぞ。この故に(先帝)臣に託して疑ひたまはざりしなり。」「今民窮 し、兵疲る。而も事は息(や)むべからず。事息むべからずんば、則ち駐(とどま) ると行くと、勞費まさに等し。」


 孔明事を急ぎしに更に深き理由あり。二表の間纔か半年に、趙雲等の良將七十餘人が歿す。「これ皆數十年の内糾合せし所の四方の精鋭にして一州の有する所に非ず。若し復(ま)た數年ならば則ち三分の二を損ぜん。」


 蜀僅か一州なりと雖も、名將勇士の數、魏呉に比肩せり。これもとより能(よ)く益州一州の産する所に非ず、漢室の衰微を憂ひ興復を志す全土の志士を糾合せしもの なり。


 然れども漢室滅びて七年、孔明已に狂瀾を既倒に廻らす(崩れかかる大波を元に押 し返す)の難きは知りしならん。漢室興復の大義も孔明の世代、即ち孔明自身の生命 と共に滅ぶを知りつつ、大義と共に燃え盡くる事こそ孔明の覺悟なれ。


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