岡崎久彦 - 出師の表 - 十一
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『出師の表』 十一 岡崎久彦


「今南方已に定まり、甲兵已に足れり。」


 對句の技巧なくして、おのづから對句を成す、力強き一句なり。


「當(まさ)に三軍を奨率して、北して中原を定むべし。庶(ねが)はくは駑鈍 (どどん)を竭(つく)し(自分の乏しい才能をすべて使ひ盡して)、姦凶を攘除 し、以て漢室を復興し、舊都(洛陽、長安)に還らんことを。」


 土井晩翠は歌ふ。


南方すでに定まりて、
兵は精(くは)しく糧(かて)は足る
君王の志 うけ繼ぎて
姦を攘(はら)はん 時は 今
江漢、常武 古(いにし)への
驗(ためし)を今にここに見る
建興五年 明けの空
日は暖かに大旗の
龍蛇も動く春の空
馬は嘶き人勇む
三軍の師を隨へて
中原北にうち上(のぼ)る


 余幼時より親しみし星落秋風五丈原の一節なり。全篇中とくに優(すぐ)れたる一節 には非ざるも、この長詩、初めの數節の結び毎に「丞相病篤かりき」の繰り返し(リ フレイン)あり、詩末は追悼の長詩を以て結ぶ全數十節の一大悲劇詩なるが故に、こ の意氣天を衝くの一節、かへつて空しく響きて哀れを誘ふものあり。漢室四百年の光 輝、正統性もやがて孔明の死と共に滅ぶ、殘燈一瞬の輝きと言ふべきか。


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