岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の三十二
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『蹇蹇録』 其の三十二 岡崎久彦


干渉受諾決定後も陸奧は最後の外交努力を放棄せざりき。


「條約批准交換まで猶十有餘日を存すれば、一方において三國に對して再三理を悉(つく)して情を述べ、勸告の撤囘又は寛和の方策を試むるべく、かくする間に彼らが將來如何なる擧動に出づるかも視察し得べく、他の一方において、我もしこの際他の二、三大國の強援を誘引し得ば、あるいは三國を牽制しその干渉の熱度を幾分か冷却し得べく、また假令遂に干戈相見ゆるの不幸に陷るも、猶我が獨力を以て危難を冒すに勝る事萬々なるべし。」


陸奧の訓令の下、在外各大使それぞれに任國の説得これ努めたるも、露はもとよりこれを拒否し、英は好意的なるも局外中立を守り、米は局外中立と矛盾せざる限りは日本と協力せんとし、清國側に早期批准を促すにとどまれり。


後に陸奧は述懷せり。「英國は人の憂ひをわが憂ひとするドン・キホーテに非ず。日本の防衞のためには英國は代償を要す。日本の國力は英國の長大なる防衞線に寄與するの力ありや。シンガポール以遠に艦隊を派出するの能力ありや。・・・」


日清戰後、平和囘復にかかわらず、伊藤が二十萬トンの大建艦計畫を議會に提出せしは、この陸奧の論によると言ふ。かくして建設せし日本の海軍力は、英國をして、一世紀の名譽の孤立を脱して日英同盟を結ぶの利を見出さしめ、世界史的意義を有する日露戰爭の勝利をもたらしめたり。


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