岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十九
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『蹇蹇録』 其の二十九 岡崎久彦



「下の關條約調印の後、余は養痾のため暫く暇を賜はり播州舞子にお休沐し居れ り。かくの如くにして閣臣の四方に散居したる折から、四月二十三日において在東京 露佛獨公使は外務省に來り、各自に本國政府の訓令を受けたりと稱し、日清講和條約 中、遼東半島割地の一條に關する異義を提起したり。」


さきに馬關交渉開始にあたり、陸奧は、講和の條件を、(一)始めより列國に開示 し、根まはしをし置く事、(二)清國が受諾するまで深くこれを隱蔽し、第三國をし て事前干渉の餘地を封ずることの二案につき、それぞれの長短を指摘しつつ伊藤に裁 斷を仰ぎ、政府内の意思を後者に統一せしめたる經緯あり。


陸奧は直ちに伊藤に對し、「我が政府がもし當初に歐州大國に對し我が要求條件を 示したらんには、その時起るべき問題が今日に至りて來りたるもの」と觀察し、まづ は「一歩も讓らざる決心を示す」事を主張せり。


しかれども、その後の情報により、「形勢いよいよ容易ならざるを知れり。」 各 種情報の中でも、「就中露國政府は既にこの方面の諸港に碇泊する同國艦隊に對し て、二十四時間何時にても出航し得べき準備をなし置くべき旨内命を下せりとの一事 は頗るその實あるが如し。」


この觀察また、「日本がこれを拒否すれば、日本砲撃やむを得ず」とのウイッテの囘想録の記述と符合す。まさに日本危急存亡の秋(とき)なり。


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