岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十七
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『蹇蹇録』 其の二十七 岡崎久彦



そもそも講和談判は戰ひに倦みし清國が米國仲介の機を捉へて推し進めしものにして、日本側は中國大陸において更に地歩を進める軍事的餘力を有し、「一般の人心も未だ戰爭に厭(あ)きたる氣色なく、ひたすら講和の尚早を叫ぶ」状況にあり。さきに「清國講和使を放逐したるは近來政府の英斷なりと稱したり。」


かゝる人心の背景の中、馬關交渉中突如一暴漢短銃を以て李鴻章を狙撃重傷を負はしめたり。陸奧は憂ふ。「もし李鴻章にしてその身の負傷に託して使事の半途に歸國し、痛く日本國民の行爲を非難し巧みに歐州二、三強國の同情を得るに難からざるべく、清國に對する要求もまた大いに讓歩せざるを得ざる場合に立ち到るやま計られず。」


もとより清國は日本軍の進撃を止めんが爲休戰條項の先行を求めしが、我が方の峻 拒に遇ひ、講和條約先議を受諾せしばかりなりき。


ここにおいて伊藤、陸奧は「かつて彼が懇請して已まざりし休戰をこの際我より無 條件にて許可するを得計となし、」閣僚、大本營の反對を抑し切つて、休戰條約の聖斷を得たり。


陸奧は、李鴻章の病床に赴きてその意を傳へ、「李は繃帶外僅かに顯はるる一眼を以 て十分歡喜の意を呈し、」「會議所に赴き商議する能はざれども」病床にて談判を開く事は差し支へなしと言へり。


心無き強硬論者により、伊藤、陸奧が折角進め來りし、水も洩らさぬ外交に蹉跌を來せしは痛恨事なるも、陸奧の處置の迅速、適切、再び、國策を誤らざりき。


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