岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十五
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『蹇蹇録』 其の二十五 岡崎久彦



已にして繼戰意思を失ひつつあり、かつ列國の干渉に期待する清國は、日本側の講 和條件を窺知せん事に腐心したり。


講和條件の扱ひにつきて陸奧は、先に二案を用意し伊藤の裁斷を仰げり。その一は 事前に條件を公示し、歐米列強の内諾默許を保持せんとする「根まはし」案、その二 は條件を隱蔽し、第三國をして事前の干渉の餘地を封じる案なりしが、伊藤及び廟議 は、その二に決せり。陸奧思へらく「けだし重要の度においては兩説いづれも軒輊 (けんち)なきも、何人もかゝる機微の問題に對して未來の得失を明見する能はず」 「予の急要としたるは豫め廟議を一定し置かん」とするにあり、その二に決した「伊 藤總理の所見に同意するに躊躇せざりし。」


果して、清國は、年の暮には天津税關吏デトリングを派遣して日本の意圖を探らん とし、明けて明治二十八年一月には、閣僚レベルの講和使を派遣して小當りに講和條 件を探らんとす。


ここにおいて「伊藤總理竊かに余を招きて言ふ。今熟々(つらつら)内外の形勢を 察するに講和の時期未だに熟せず。もし注意一番缺く時は、我が國が清國に要求せん とする條件先づ世間に流傳し徒に内外の物議を惹起するの恐れあり、審(つまびら か)に彼ら(講和使)の材能及び權限如何を明察するの後に非ずんば容易に講和の端 緒を啓くを得ず」。 こゝにおいて陸奧は使節の全權委任状の不備を理由に、講和の 内容に立ち入らしめず彼らを歸國せしめたり。


但し、使節の歸國に際し、伊藤は清國側に對して、私語の體(てい)にて、李鴻章 の如き責任ある人物が全權なれば好都合なるべき旨を洩らし、これが下關會談の端緒 となれり。


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