岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十三
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『蹇蹇録』 其の二十三 岡崎久彦



米國を仲介とする講和の進展に應じて「我が國一般に主戰の氣焔はいまだ少しも衰褪するに至らざれども」漸く講和の説も出で來たれり。


改進黨の指導者は「戰後もし清國がその社稷を保つ能はず」といふ情況なれば「我が國は四百餘州を分割するの覺悟なかるべからず。」その時は山東、江蘇、福建、廣東の四省の領有を主張し、自由黨は「吉林、盛京、黒龍江の三省及び臺灣」の讓與を主張せり。「かく衆論囂々の中にありて、谷子爵は一書を伊藤總理に寄せ、」一八六六年の普墺戰爭の歴史を引きて「割地の要求は、あるいは將來日清兩國の親交を阻害すべし」と論ぜり。かつてビスマルクすでに防禦の力なきウイーンの前面に兵を止めて、普墺半世紀の堅固なる同盟を築きたる故事によれるものなり。陸奧は「その説の當否を論ぜず」としつつも、「この間能くその獨特の見を發せしは萬緑叢中紅一點の觀なきに非ず」と讚辭を呈せり。他面「しかれども谷子爵と雖も、未だかつて社會の逆潮に抗して公然その持論を發表するまでの勇氣なく、唯これを私書中に述べてその微意を洩らすに止まれり。谷子爵にしてかつ然り。況んやその他碌々の輩をや。」と歎じたり。


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