岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十二
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『蹇蹇録』 其の二十二 岡崎久彦



「日清兩國の間、八閲月(えつげつ)に亙りたる戰爭を息止すべき端緒は米國によ つて啓かれたり。」


帝國主義時代、世界あらゆる地域の紛爭にも介入、調停して發言力を高めんとする は列強の習ひなり。戰局進展に伴ひ、既にして英國及び伊國より調停の申し出ありし も、陸奧は、その友誼に感謝しつつ「今日に至るまで戰爭の勝利は常に日本軍に伴へ り。しかれども帝國政府は、今日事態の進歩を以て尚未だ談判上滿足なる結果を保證 するに足らずと思考す」と謝絶せり。


米國の調停申し入れにも、同樣の囘答を與へしが、その際陸奧は思へらく、「歐州 強國は互ひに縱横連合の策を論じ、ややもすれば弱肉強食の欲を逞(たくま)しくせ んとする最中において、平和を希望する外(ほか)は決して他國の利害に干渉せざる 政綱を主持する」は米國にして、將來の調停を托するに「米國より善きはなし」と。


よつて表面は謝辭しつつも會談の際「全く私語の體(てい)にて、」「異日もし清 國より講和の端緒を開き來る時に方(あた)り、わが政府は深く米國の厚誼に倚頼す る所あるべしと述べたり。」


これは直ちに北京駐在米公使に傳へられ、忽ち外國の調停を渇望せる清國の飛び付 ける所となれり。その後紆餘曲折はありしも、これが日清講和談判の端緒となりしも のなり。


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