岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十一
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『蹇蹇録』 其の二十一 岡崎久彦



ひるがへつてわが國内世論の動向を見るに、「平壤黄海戰勝以前において竊かに結局の勝敗を苦慮したる國民、今は早將來の勝利に對して一點の疑ひだも容れず、」「一般の氣象は壯心快意に狂躍し驕肆高慢に流 れ、國民到る所喊聲凱歌の場裡に亂醉したる如く」、「この間もし深謀遠慮の人あり、妥當中庸の説を唱ふれば、あたかも卑怯未練、毫も愛國心なき徒と目せられ、空しく聲を飮んで蟄息閉居するの外なき勢ひをなせり。」大日本帝國時代の幕明けと も言ふべき當時の國民感情沸騰の情景眼前に髣髴たるものあり。


これ「我が國古來特種の愛國心の發動」にして、「政府は固よりこれを鼓舞作興すべく、毫もこれを擯斥排除するの必要なし。」


けだし 陸奧一流の功利主義は、現存するものすべてに利用價値を認むるものなり。即ち、「よつて政府は、この國民敵愾心の旺盛なるに乘じ、一日も早く一歩も遠く日清の戰局を進行せしめ、一分も餘分に國民の希望を滿足せしめたる上」客觀情勢をよく考慮に入れつつ「將來國家の安危に對し外交上一轉の策を講ずるの外なしと思料せり。」


陸奧は輿論なるものの重要性を知れるほとんど最初の日本の政治家たり。而うして、世論に迎合するの分止まりを知り、國家の大事に際して一轉斷乎世論に反するの覺悟を常に失はざる合理主義的戰略家なり。


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