岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の二十
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『蹇蹇録』 其の二十 岡崎 久彦



日本軍快進撃の情勢に對する清國側の戰略はそも如何?


清國は「初めより歐州強國の干渉を請求し」てゐたりしが、「平壤、黄海海戰の後 は彼らはいよいよ最後まで日本と敵抗する強力(戰鬪力)なきを察知したと見え、」 「奉天半島における陸戰には殆ど一囘も攻勢を取りたること無く、」また李鴻章は 水師提督丁汝昌に嚴命して、「再び外海に出戰せしめず」、「一層外國の干渉を誘導 するを努め」北京では外國使臣に「縋(すが)り付き、頻りに外援を請ひ、」在外 使臣に電訓して「ひたすら哀訴歎訴せしめたり。」


既にして「露國は虎視眈々、」「干渉は招かれざるも早晩自ら來るべき時會ありと は何人も豫測するに難からざるに、清國政府はひたすらに強國に向ひて哀を乞ひ、議 を求め、殊更に門戸を開き豺狼を迎ふるが如き愚計に出でたるは、將來もしこの東方 局面をして歐州強國の交渉多事になるべき事ありとせば、俑を作りし者(凶事を招き し者)は清國なりと言はざるべからず。」


日清戰後、歐州列強、初めは賠償援助に名を藉りて利權を求め、やがては租借地 を奪取し、遂には清國全土を勢力圈に分割し、半植民地化に至らしめしは、清廷「殊 更に門戸を開き豺狼を迎へ」たるこの時期に蒔きし禍因なりしを思へば、陸奧の洞察 力の透徹、改めて感に堪へず。


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