岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の十七
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『蹇蹇録』其の十七(豊島沖開戦) 岡崎久彦


日清戦の戦端を開きしは豊島沖の海戦なりき。
七月十九日陸奧は英国を通じて期限五日間の最後通牒を発せり。
「西郷海軍大臣は、余(陸奧)に向かひ、もし日本艦隊がこの最 終期限後に清國艦隊に出會ふか、または清國が更に軍隊増派の事實 あらば直ちに戰端を開くも外交上故障なきやと問ひたることあり、 余は外交上の順序として何らの差支へなしと答へたり。」
まさに五日過ぎたる二十五日早朝、清艦濟遠を先頭とする増援部 隊護送艦隊が豊島沖に接近するや、わが艦隊は直ちにこれを邀撃、 撃破し、こゝに陸奧の粒々苦心の結果たる日清戦は開始せられたり。
なほ、その間、撃沈したる清國増援兵を滿載せる汽船が英国船籍 なりしため、英国輿論を刺戟し、日英間に外交的問題を生ぜしめた るも、陸奧の対英説明は懇切にして事理を究め、英国の国際法学者 もこれを支持し、「一時殆ど日英兩國の間に重大なる外交關係を 起さんとしたる出來事も無事妥穩の局を告げたり。」


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