侃々院>[大東亞戰爭詩史 列傳]清水 浩
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[大東亞戰爭詩史 列傳]  清水 浩


詩史列伝(その七)


■参謀列伝


石原莞爾陸軍中将


 昭和陸軍切つての天才と呼ばれし石原将軍は、関東軍の中佐参謀たりし昭和六年に満州事変を勃発せしむ。彼らしき遠謀に立ちてのことなるも、昭和十二年の蘆溝橋事件に際しては、参謀本部の作戦部長として事件不拡大に懸命となる。されど彼の独断専行の形のみを模倣する強硬派幕僚を制御する能はずして中枢より追はる。天才にありがちの偏狭さをもてる彼は、その後首相となりし東条と合はず、低能扱ひの罵言を吐きて予備役に追ひやられ、東亜連盟の指導者として奔走せり。戦後、病気の彼を尋問するため、故郷の山形まで来たりし米国側に対しても、揶揄して煙に巻く。


奇略縱横馳滿洲  
奇略 縱横 滿洲を馳す


效顰後輩孰能尤  
顰(ひそみ)に效(なら)ふ 後輩孰(たれ)か能く尤(とが)む


放言罵倒嗤丞相  
放言 罵倒して丞相(首相)を嗤(わら)ひ


病臥鐵腸揶敵仇  
病臥の鐵腸 敵仇を揶(からか)ふ


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