加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 九
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


 一九六〇年代の日本(一)
        高度成長とテレビ普及


 辭職せる岸の後を繼ぎしは、吉田が政治的弟子、池田勇人なりき。池田は、米國よりの政治的獨立指向の、國民の反撥を招きたりと判斷せしかば、政治問題を棚上げし、國民の支持を得易き經濟問題に、政治の重點を移せり。池田以來今日まで、歴代の首相は、困難なる課題と知る憲法改正に取組むを回避し、經濟發展の路線をひた走りぬ。


 國民亦、經濟發展とふ明確なる目標を與へられ、奮起す。一九六〇年代は、日本の高度成長の時代となれり。されど日本人の、自國と日本文化への誇りと自信は、米軍占領下に喪れし儘、回復せざりき。日本人、物資の潤澤に供給され、生活の利便ありせば、それにて宜しとす。


 高度成長と國民の所得増大は、政治を安定せしむ。池田内閣と佐藤内閣と、二代の政權に問題無きにあらねども、共に長期政權なりき。國民の生活水準は向上を續け、家庭用電氣器具の普及、全國に及べり。就中テレビ受像機は、東京にて開催せられたる五輪大會を機に、家庭の必需品となれり。


 テレビ普及は、日本人の生活に重大なる變化を齎したり。テレビ制作者の多くは、「戰後思想」を信奉せる若年の都會出身者なりき。テレビは、歐米化せる都會の生活の、理想化せられたる映像を放映せり。尚貧しき生活の中にありし地方の農民等、豐かなる生活の映像を見て、憧れを刺戟せらる。民俗學者の宮本常一、地方の農村の若き主婦二人失踪し、數日後に歸り來たる話を記す。テレビにて都會の豐かなる生活を知り、憧れと羨望に抗し難く、一目見んとて都會に赴き、放心せるが如く歸宅すとぞ。


 地方の農村には、家ごとに異なる生活ありき。貧しき家に生まるとも、富家の人を羨まず。「分」の觀念根付きたればなり。されどテレビ普及は、劃一的價値觀を浸透せしめ、「分」の觀念、家ごとの異なる生活を崩す。家庭用電氣器具に圍まれたる都會の歐米風生活、全國民の憧れとなる。全國民の生活劃一化と、歐米的價値觀の全國民への植付け、之より始まりぬ。


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