加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 七
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


 鳩山、石橋、岸の三首相と「戰後思想」


 吉田の後を襲ひし鳩山一郎、石橋湛山、岸信介の三首相、何れも凡庸の材に非ず。占領期の負の遺産除去に精力を投じ、成果を擧げたり。鳩山は自主外交の目標を掲げ、獨立印度尼西亞(インドネシア)の招請せる亞洲・非洲(アジア・アフリカ)會議に、日本を參加せしめ、露西亞との國交を回復せり。石橋の政權は短けれど、岸は、獨立後の日本外交の基礎を築く。されど三首相全力を擧ぐと雖も、二年半の時間的損失を補ふは難かりき。「戰後思想」の浸透、社會に著しく進みたればなり。


 占領期の米軍、日本の言論を飼馴らし、政府に反抗せしめ、學界・教育界に「戰後思想」を浸透せしめたるは、前篇に詳述せり。占領終了後、總司令部にて檢閲員を勤めし「日奸」等、此の三分野に職を求めたる者、多かりき。


 占領期のみならず、占領終了後にありても、「戰後思想」の旗手は、丸山眞男なりき。丸山多數の論文を發表し、學界・言論界の寵兒たり。歐米と異なれる日本社會の特質を、歐米に及ばざる日本の缺點なりとす。斯る缺點を全面的に除去するこそ、即ち日本の社會を全面的に歐米化するこそ、近代化の道なれと説く。


 自らの占領期の行動に良心の呵責を覺え、心晴るること無かりけむ「日奸」等、丸山理論の、自らの行動を正當化するを感じたるべし。


 占領終了後の言論界、學界・教育界に、丸山の著作の廣く讀まれ、人口に膾炙せるは、三分野に職を得たる「日奸」等の、強力なる支持に因るものにして、日本の言論界、學界・教育界に、「戰後思想」の思考、價値觀長く殘れり。


 吾人岸首相の、獨立後日本外交の基礎を築かんとせる努力の、遲きに失せるを憾む。戰前戰中の日本を全否定する思考、言論に遍く浸透し、「日奸」等既に社會的地歩を固め、國民大多數、國の獨立の意義を忘却したればなり。


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