加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 五
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


 東京裁判の「受諾」


 茲に我が日本の、サンフランシスコ條約にて東京裁判を「受諾」せりとさるる事實に付き、一言し置かむ。同條約第十一條邦譯文に、「日本國は、極東國際軍事裁判所並びに日本國内及び國外の他の連合國戰爭裁判法廷の裁判を受諾し」とあり。されど此の邦譯文は正文に非ずして、正文は英文なり。英文を見るに、日本國の受諾する(Japan accepts)は英語のjudgements、即ち「裁判」に非ずして、「判決」なり。  


英語のjudgementsの「判決」なること、疑ひ有るべからざれば、上の邦譯文の誤譯なること明らかなり。日本政府は、同條約により、戰爭行爲たる軍事裁判の全て、其の法理、裁判手續等を受諾せるに非ず。唯裁判の結果たる判決の、執行義務を負ひたるのみ。第十一條の規定非ずば、判決執行義務亦無き道理なり。  


上記條文を誤譯せるは意圖的なりしや、事務的過失なりや、情を詳らかにせざるも、長らく日本政府、サンフランシスコ條約にて、軍事裁判の判決のみならず、軍事裁判全體を「受諾」せりと解釋せられたり。占領終了後も日本國民の、占領の延長せらるるが如き感覺を抱きたる一因となれり。但し占領終了後間無くして、國會の議決に因り、拘禁されたる受刑者全員釋放せらる。判決を「受諾」せるは一時のことなりき。


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