加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 四
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日本の文化傳統、
     如何にして切斷せられしや(後篇)
                  加藤淳平


 占領期の總括(三)日本社會の龜裂


 占領初期、占領軍と左翼勢力の協力關係の下、「戰後思想」の廣まりしは、占領軍の協力者たる學界・教育界、報道界、占領軍に育成せられたる勞働運動家、婦人運動家の間なり。日本古來の價値觀の、深く根付きたる政界、官界、經濟界、或は農民、中小企業人等、日々社會の實務に從事せる人々は、占領軍・左翼勢力の影響を、強くは受けざりき。


 斯くて戰後初期の日本社會に亀裂走り、思考・價値觀を異にせる二世界に分裂す。占領軍・左翼に支持せられたる「戰後思想」、報道を賑はせ、學問的言説と學校教育の世界を獨占すと雖も、社會の絶對多數を形成せる實務者の世界には、容易に浸透せず。


 一九四八年頃より米國、中國に於ける共産黨政權成立、國民黨政權崩壞、朝鮮戰爭參戰等に因り、中國に失望す。米は日本弱小國化政策を改め、日本占領政策を轉換す。日本の左翼政黨優遇を止め、共産黨排除に決せり。占領軍、日本經濟建設を支援し、日本の政界、官界、經濟界、農民、中小企業人等實務者との、協力關係を構築せんとす。


 大多數の日本人、「戰後思想」と占領軍の初期占領政策を批判しつつも、米の方針轉換を觀迎せり。政界、官界、經濟界、農民、中小企業人等、米の新たなる日本復興、國力強化方針を支持す。その反面占領軍の、占領初期に育成せる日本人協力者等、米より離反し、共産露國、共産中國に心を寄せたり。學界・教育界、報道界、勞働界、婦人等、國際社會の現實に背馳せる觀念的傾向を強め、社會主義國・政權を觀念的に理想化せり。


 占領後期は「戰後思想」、報道と教育を通じ、漸く社會に浸透す。然れどもその信奉者、占領軍批判に轉じ、長期の米軍占領下に高まりたる反米感情を以て「戰後思想」の正當化するは、何たる皮肉ぞや。


 占領期後半も、占領初期とは稍性格を異にすれど、日本社會の龜裂續けり。唯「戰後思想」信奉者にして、米國批判に轉じたる者、數多しと雖も、日本人全體の三分の一を越えざりき。


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